仏陀の物語(9)説法の決意

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説法の決意

正覚を成就した仏陀(釈尊・釈迦)はなお菩提樹下に坐して瞑想にふけっていました。

「この正覚によって悟りえたものは、容易に人々には理解し難いく、これを大衆に説くことは至難のことかもしれない。」

そういう思いにとらわれ、仏陀(釈尊・釈迦)は沈黙を守るのでした。

この正覚の境地を、ただひとりの胸に蔵したまま終るならば、地上の衆生の救いは永久にないことになるでしょう。

仏陀(釈尊・釈迦)はやがて翻然と、説法に踏み切る決意を固めるに至ります。

それは、「梵天の勧請」という神話をもって語られています。

「世尊よ、法を説き給え。この世界は、真理にまったく盲目の如き人ばかりとは限らない。法を近くにきけば、大いなる悟りに至る衆生も数多いことでしょう。」

梵天は仏陀(釈尊・釈迦)の前に現われ、礼拝しながら、「世界を滅びから救い給え」と、説法をすることを奨めるのでした。

仏陀(釈尊・釈迦)は、人々に対する慈悲の思いを起こし、世の人々のさまをみなおしました。

例えてみれば、それは池の中の蓮の花のようでした。

池の上に美しく咲くものもあれば、やっと水の面に浮かんでいるものもあります。

あるものは、ぐっと他よりぬきんでて、花を開き、泥沼の底に生えながら、その汚れに染まぬものもあるではないか。

「われはいま、甘露の門をひらく。耳あるものはこれを聞け。古き悟りを捨てよ。」

仏陀(釈尊・釈迦)は説法の決意を固めました。

まず何びとにこの法を説くべきか、慎重に考えなくてはなりません。

微妙な、世の常の観念では理解しにくいであろう、この正覚の道を説くことは、まさに重大事でした。

仏陀(釈尊・釈迦)がまず選択したのは思想家でした。

二人の非凡な思想家、アーラーラーカーラーマと、ウッダカーラーマプッタはこの時すでに死んでいました。

かくて、この菩提樹の下より250キロ以上はなれた、ヴァーフナシーのミガダーヤ(鹿野苑(ろくやおん))という所にいる五人の比丘の上に思いを馳せました。

彼らは、仏陀(釈尊・釈迦)が苦行をいとなんでいたときに力を添えてくれたことがあったのです。

仏陀(釈尊・釈迦)は長い道を旅して、鹿野苑へ赴いたのですが、彼ら五人の反応は必ずしも好意的ではありませんでした。

五人の比丘は、苦行を捨てた仏陀(釈尊・釈迦)に批判的でした。

「彼は堕した」と見えたのでした。

彼らは堕落した仏陀(釈尊・釈迦)が大正覚に達したなどとは認めませんでした。

再三の問答の末に、仏陀(釈尊・釈迦)は言いました。

「比丘だちよ。我が顔を見よ。汝らは、いまのように輝く私の顔色を、これまでに見たことがあるか?。」

五人は言われて、それに気付きました。

成程と彼らは思ったのです。

では話を聞くだけ聞いてみようと思いました。

仏陀(釈尊・釈迦)は、始めてここに彼ら五人仰比丘に法を説くことを始めました。

彼らにまず説いたことぱ「中道」ということでした。

それは、自己がいま、立って居る実践的立場についてでした。

「出家したものは、二つの極端なものに近づいてはいけない。

一つは快楽に淫することです。

欲望に執着することは卑しく下劣な所作です。

聖者のとる所ではなく無益なことです。

そして一つは禁欲に偏することです。

自ら苦行を課すことは、ただ苦しいだけのことでありこれまた無益のことで、聖者のわざではない。

私はこの二つの極端を捨てた。そして、中道を悟った。」

これが智恵を生じ、悟りと自由を得るに至る道であると説くのです。

そして中道の実践はすなわち八正道の実践であることを説かれたのです。