仏陀の物語(3)餓えた虎の母仔の話

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餓えた虎の母仔の話

前世で王子様であった時、雌の虎に逢いました。

雌の虎には子供がいましたが餌を得られず、とても痩せ衰えていました。

それを見た王子様は「なんてかわいそうなのだろう」という慈悲の気持ちを起こし、自分の肉を裂いて、雌の虎に与えましました。

その時、お釈迦様は、将来、私が仏になった暁には、生きとし生けるものの心の苦しみを全て取り除いてあげようという誓いを立てられましました。

そして、この雌の虎や子供たちの生まれ変わりが、お釈迦様の最初の教えを聞いた5人の弟子たちとなったのだそうです。
このようにジャータカの題材には、自己犠牲の話が非常に多く語られています。

自己の所有品はもちろん、身命を提供して他人を救うこと、これを「布施」といいます。

そして、清らかな生活を守ることを「戒」と呼びます。

「忍辱」というのは、困難に耐え抜くこと、こうした努力を積み重ね、修行を達成するのが、「精進」であり、「布施・戒・忍辱・精進」の四ヵ条が、ジャータカの主たるテーマとなっています。

これはまた仏教の説く最高のモラルといえると思います。

菩薩はこの信条の上に立って行動しています。

この四ヵ条の上に瞑想と智慧を加えて、六波羅蜜として、菩薩の徳目と称えています。

波羅蜜、または波羅蜜多は梵語のパーラミター(波羅蜜多)のことです。

パーラの語には彼岸という意味が存在します。

パーラミター(波羅蜜多)で彼岸に達するの意と解釈されています。

仏陀(釈尊・釈迦)も前世においてはこのパーラミター(波羅蜜多)を実践し修行したとされています。

菩薩とは仏陀となる資格をそなえたものという意味であり、仏陀となるまでの釈迦牟尼を指すことなのです。

それでは、他の人々にはその道はないのでしょうか。

パーラミター(波羅蜜多)(波羅蜜多)を実践することによって解脱し得ることは可能であると大乗仏教者の思考は進んだのです。

菩薩の道を歩むものは誰しもが、菩薩である、という見地に立って、仏陀は万人を救済します。

その智慧と慈悲を信ぜよと説かれているのだと思います。