仏陀の教え(2)仏陀(釈迦)について

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仏陀の教えは(仏教として)語り継がれ、書き継がれて約2500年の時を経た今でも、私達にも語りかけている

釈迦(Gotama Siddhattha・悉達多・釈迦牟尼・仏陀等)は紀元前400年頃(別説500年頃)に現在の印度とネパールの国境地帯、タラ-イ盆地のシャカ族の王子としてネパールのルンビニで、マーヤ夫人(Maya・摩耶・生後7日目死亡)を母に、4月8日(別説2月8日)生まれました。

16才で結婚し長子(Rahula・羅候羅)が生まれましたが、元来優しい人柄であったので人々の「生老病死」に苦しむ姿を見て、29才のとき出家しました。

6年間、苦行を通して人々を救う道を求めましたが、苦行はその道でないとウルヴィルヴァー山を出てナイランジャナー河で沐浴し髪とヒゲをそり、セーナ村の娘スジャータの介護を受けた後、対岸ガヤーのピッパラ樹(菩提樹)の下で、ついに悟りに達したのは35才でした。

やがてヴァナラシー郊外サールナート(鹿野苑)で教化し弟子5人を得て仏教教団が成立しました。

釈迦はキリストのように神の子として生まれるのではなく、無師独覚の人として聖者(Buddha・仏陀)となりました。

仏教は、人生の苦しみ・迷いから覚める(解脱)ための因縁を説いて人間の生きるべき道を明らかにしたものであり、死んだ時の葬式の為にあるものではないのです。

当時インド最大のマガタ王国で尊敬されていたバラモン僧のカーシャパ(迦葉)三兄弟や哲学者シャーリプートラ(舎利弗)、マウドガリヤーヤナ(目蓮)などの集団転向そしてビンビサーラ王(頻婆娑羅)自身の帰依により確固たる教団となり、やがて世界的宗教へと発展します。

教団(Samgha・僧伽)では階級制度を否定し、当時卑下されていた女性の僧侶を創るなど平等主義を貫きました。

毎年、雨季には竹林精舎や祇園精舎など一ヶ所に定住生活をしましたが、常に遍歴の教化を繰り返し、やがてクシナガラで2月15日に80才の生涯を終えました(入滅)。

仏陀の在世年代について、いまのところ世界的な定説はありません。

西欧の学界では一般に、紀元前560~480年頃という南方仏教の伝承が承認されているようです。

日本では北方伝承によって約1世紀遅い説(463~583)が有力とされています。

仏陀は80年の生涯をおくられ、一人の子供(男子【ラーフラ】後に仏弟子となる)がいました。

仏陀は29歳前後に修行のため家を出た後に、やがて悟りを開き究極の真理に目覚めます。

仏陀は悟りを開いて(成道)後の半生はその教説を説いて過ごされました。

彼の周りにはその教えを信じ実践する人々の集まり(サンガ)ができていきました。

仏陀の教説は8万4千の法門といわれています。

それは一人一人の相手に合った教説を説いたために対機説法ともいわれています。

したがって仏陀の言葉は、その時その場所でその人(その人々)に最も適した言葉として語られたものなのです。

仏陀はその生涯において1冊の書物も自らは残していません。

その言葉や行いは多くの弟子たちによって、仏陀入滅後に経典という形で私たちに残されました。

その後も仏陀の教えは(仏教として)語り継がれ、書き継がれて約2500年の時を経た今でも、私達にも語りかけているのです。

「人間」の「間」という字を『広辞苑』で引くと、説明の中に「めぐりあわせ」とあります。
めぐりあわせとは、ご縁です。

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