仏教のことば:「起請文(きしょうもん)」

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起請文(きしょうもん)

願を起こし、あるいは衷情を訴えることで、神仏にかけて誓った文書。

起請文(きしょうもん)は、日本でかつて作成されていた、人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書である。単に起請ともいう。

起請文は、まず約束や契約の内容を書き、次に差出者が信仰する神仏の名前を列挙し、最後に、約束を破った場合にはこれらの神仏による罰を受けるという文言を書く。後二者を「神文(しんもん)」または「罰文(ばつぶん)」といい、契約内容を書いた部分を神文の前に書かれることから「前書(ぜんしょ)」という。

鎌倉時代後期ごろから、起請文は各地の社寺で頒布される牛王宝印(ごおうほういん。牛玉宝印とも書く)という護符の裏に書くのが通例となった。ここから、起請文を書くことを「宝印を翻す」ともいう。特に熊野三山の牛王宝印(熊野牛王符)がよく用いられ、熊野の牛王宝印に書いた起請文の約束を破ると熊野の神使であるカラスが三羽死に地獄に堕ちると信じられ熊野誓紙と言われた。

戦国時代には各地に戦国大名などの地域権力が出現し、戦国大名の成長に伴い大名領国同士は国境を接し、軍事同盟の締結や合戦など大名同士の外交関係が顕著になり、軍事同盟の締結や合戦の和睦に際しては双方の信頼を確認するため双方で起請文を交わした。

Wikipediaより引用

『一枚起請文』

『一枚起請文』は、建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である源智上人の要請により、書かれたものです。

浄土宗の教えの要であるお念仏(称名念仏)の意味、心構え、態度について、とても簡潔に説明されています。

さらに、本文中に「両手印をもってす」とあるように、両手の判を押し、上人自身が証明していらっしゃいます。 法然上人のお誓いの文章であることから「御誓言の書」とも呼ばれ、大本山金戒光明寺に大切に保存されています。

法然上人のお念仏

唐土我朝にもろもろの智者達の、
沙汰し申さるる観念の念にもあらず。
又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。

私の説いてきたお念仏は、み仏の教えを深く学んだ中国や日本の高僧の方が理解して説かれてきた、静めた心でみ仏のお姿を想い描く観念の念仏ではありません。

また、み仏の教えを学びとることによって、お念仏の意味合いを深く理解した上でとなえる念仏でもありません。

阿弥陀さまの本願

ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、
うたがいなく往生するぞと思い取りて
申す外には別の仔細候わず。

阿弥陀仏の極楽浄土へ往生を遂げるためには、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」とおとなえするのです。一点の疑いもなく「必ず極楽浄土に往生するのだ」と思い定めておとなえするほかには、別になにもありません。

お念仏をとなえれば

ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して
南無阿弥陀仏にて往生するぞと
思ううちにこもり候うなり。

ただし、お念仏をとなえる上では、三つの心構えと四つの態度が必要とされますが、それらさえもみなことごとく、「『南無阿弥陀仏』とおとなえして必ず往生するのだ」と思い定める中に、おのずとそなわってくるのです。

法然上人の誓い

この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、
本願にもれ候うべし。

もし私が、このこと以外にお念仏の奥深い教えを知っていながら隠しているというのであれば、あらゆる衆生を救おうとするお釈迦さまや阿弥陀さまのお慈悲にそむくことになり、私自身、阿弥陀さまの本願の救いから漏れおちてしまうことになりましょう。

ただひたすらにお念仏をとなえる

念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、
尼入道の無智のともがらに同じうして、
智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。

お念仏の教えを信じる者たちは、たとえお釈迦さまが生涯をかけてお説きになったみ教えをしっかり学んだとしても、自分はその一節さえも知らない愚か者と自省し、出家とは名ばかりでただ髪を下ろしただけの人が、仏の教えを学んでいなくとも心の底からお念仏をとなえているように、決して智慧あるもののふりをせず、ただひたすらお念仏をとなえなさい。

法然上人の教えのすべて

証の為に両手印をもってす。
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。
源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、
滅後の邪義をふせがんがために所存をしるし畢んぬ。
建暦二年正月二十三日 大師在御判

以上のことを証明し、み仏にお誓いするために私の両手を印としてこの一紙に判を押します。浄土宗における心の持ちようと行のありかたを、この一紙にすべて極めまし た。私、源空の胸の内には、これ以外に異なった理解は全くありません。私の滅後、 間違った見解が出てくるのを防ぐために、考えているところを記し終えました。
建暦二年正月二十三日(法然上人の御手印)

 

法然上人のご入滅は建暦二(1212)年正月二十五日です。

この『一枚起請文』はその二日前に書かれたことになります。

死期がせまるなか、しっかりとした筆跡でしかも簡潔明瞭に、念仏の心とその実践について、上人の本意を一枚の紙に凝縮されたのです。

さらに、本文の上には両手の印が押してあり、ご自身の確認とともにその証明としておられます。

これは弟子の要請により書かれたものではありますが、上人が教え広められたお念仏が間違った方向に進まないようにと、そしてご自身の死後にその根源である称名念仏が脈々と受け継がれるための戒めとしてたくされているのです。