仏教のことば:「教化(きょうけ)」

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教化(きょうけ)

きょうげ、とも読む。
人を教えさとし、苦しむ者を安らかにし、疑うものを信仰に入らせ、誤った人を正しい道に戻すことです。
教導感化して善におもむかせることです。
教道感化の略

〈教化〉という語は《礼記》経解篇に由来し,徳により人を善に導くことを意味する。日本では平安朝以来,仏教用語で〈きょうけ〉または〈きょうげ〉と読み,ほぼ同様に,人々を教え導くという意に使うようになったが,江戸時代に入り儒教の立場に立つ徳化を〈きょうか〉と呼び,この方が仏教用語より優勢となった。教育とほぼ同義で使われることもあるが,多くの場合,政治的権力と宗教的あるいは倫理的権威との結合により民衆を教え導くことをいう。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について

『大無量寿経』によりますと、法蔵菩薩は世自在王仏の教化に出遇われて、自らも仏に成ってすべての人びとを救いたいという大きな願いを発されたのでした。

もと、一人の国王であった法蔵菩薩が、かけがえのない大切な出遇いを経験されたのです。真実に出遇われたのです。このことは、真実の教えとの出遇い、真実の教えを知らせてくださる人との出遇いの大切さを私たちに教えていると思われるのです。
法蔵菩薩は教えを請い求められました。

「十方におられる仏さまがたは、それぞれどのようにして浄土を実現なさったのでしょうか。そのことをお教えください。わたくしはそれを承って、み教えの通りに修行いたします。そして、わたくしも浄土を実現して、悩み苦しむ人びとを救いたいと存じます」と。

世自在王仏は、法蔵菩薩のこの深い願いをお聞き入れになりました。そして、二百十億の諸仏の浄土のありさまと、それらの浄土に生きる人びとの様子をお示しになったのです。

教化とは「教導化益」の略称で、徳をもって人々を正しく(善に)導くことを意味します。

教化は押し付けるものではなく、自らの体験・姿をもって相手を導くものであり、強制は行いません。

「教育」という言葉と同義で使用されることもありますが、「教化」とある場合は、宗教的あるいは政治的に人々を導き、教えを説くことを意味します。

また、現代では『教化=教え導き仏道に入らせる』という意味でも使われ、法要の際、仏前で朗唱する讚(さん・仏徳をたたえる言葉)の一種も教化といいます。

教化には様々なかたちがあり、指導者が民衆へ、僧侶が信徒へという場合はもちろんのこと、両親がその子供へ行うということもあります。

宗教に熱心な家庭は特にその傾向が強く、幼い頃から教化がなされます。そうして、熱心な教化を受けて育った子供が、今度は自分の子供へ教化を行う、ということも珍しくありません。

人々を導くためにある教化ですが、「洗脳と変わりない」と警戒する人も多いので、絶対に強制してはいけません。

教化の目的は教えを押し付けることではなく、共感を得るところにあると思います。

今年一年「一日一生」を読んでいただきありがとうございました。

来年もよい年でありますように。