仏教のことば:「祈祷(きとう)」

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祈祷(きとう)

祈願、祈念、祈請ともいいます。
仏・菩薩の冥助を仰いで除災招福を祈ることです。
仏力の加護を求め種々の功徳を勧めることにより、除災できると考えた。
密教では種々の祈祷がなされ護符がだされる。

祈祷とは、仏や菩薩の加護を受け、明王や神の力を得て、修行者は仏と一体になって、願いを成就しようとするものです。

祈祷には、国家で行われるものと、個人的なものと2種類あります。
国家で行われるものは、「修正会」「修二会」「節分会」など、定例行事として、定期的に行われるものがあります。

目的は「五穀成就」「除災与楽」「風雨順時」「天下太平」などがあります。
元寇や第二次世界大戦のような戦時中には、戦勝祈祷も多く行われました。

2つ目の個人的なものは、おなじみ
「家内安全」「交通安全」「商売繁盛」「病気平癒」「学問成就」
など、お金儲けや病気治し、入試の合格などがメインです。

ところが仏教を説かれたお釈迦さまは、このような祈祷は一切説かれていません。

もともと仏教は、蘇我氏が宗教的権威を身につけたいと思って後押ししたものでした。
その後、奈良時代にも、国を護ることを期待され、仏教に説かれていない雨乞いや、
色々な現世利益を願う祈祷を行っていました。

平安時代になると、積極的に加持祈祷を行う真言宗が現れます。
貴族は、祟りを免れ、一族の繁栄を願うために、毎月のように祈祷を行います。
真言宗が繁栄したために、後れを取った天台宗でも
密教を取り入れて、祈祷を行うようになります。

こうして、貴族の望みによって祈祷は盛んになり、江戸時代になると、庶民にも祈祷が広まり、祈祷寺院まで現れるようになりました。

このように、人々の切実な願望により、祈祷が盛んになってきたのです。

仏のさとりを目指す、
「加持」は説かれているのですが、
「祈祷」は説かれていません。

しかも、加持の目的は、さとりであって、
「商売繁盛」「病気平癒」などの現世利益ではありません。
仏教のお寺で祈祷をするというのは、
まったくお釈迦さまの教えに反したことなのです。

仏教では、因果の道理にもとづいて、
そんな心配や問題が次から次へと起きてくる根本原因を解明し、それを取り除いて、心からの安心と満足を得ることを目的としています。

お釈迦様の教えは、神秘性が全くなく、「原因があるから結果がある」(因果応報)というシンプルな教えです。そこには、見えざる仏の手や奇跡といったものは皆無です。

祈祷が与えてくれる最大の恩恵は「安心」です。