仏教のことば:「厭穢欣浄(えんえごんじょう)」

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厭穢欣浄(えんえごんじょう)

厭離穢士、欣求浄土の略。
けがれたこの世を厭い離れてきよらかな阿弥陀仏の浄土を願いもとめることです。

苦悩多い穢 (けが) れたこの娑婆世界を厭 (いと) い離れたいと願うこと。「おんりえど」とも読む。欣求浄土の対句で,両者を合せて厭穢欣浄 (えんねごんじょう) ともいわれる。

五段鈔より

四生(ししょう)無常の形、生あるものは死に帰す。哀れなるかな電光の命、草露の朝(あした)を待つが如し。

悲しいかな風葉(ふうえ)の身、槿花(きんか)の朝にして夕べに到らざるに似たり。

五蘊(ごうん)の假舎(けしゃ)に旅客の主、六趣(六道)を指して中有(ちゅうう)に生を求む。幽魂(ゆうこん)は無常にして獨り逝き代われば、資(かたち)は山澤に残り骨は野外に曝す。

人中天上の快楽(けらく)は夢中にして幻の如し。八苦の悲しみ忽(たちまち)に来たり、五衰(ごすい)の憂へ速に到る。地獄畜生の果報は業に依て感ず。八寒八熱の苦しみを受け、残害飢饉の患(うれい)あり。

或は鉄杖骨を砕き刀林膚を割く(さく)。

眼には獄卒阿榜(ごくそつあぼう)の嗔質(しんしつ)を見、耳には罪人叫喚(きょうかん)の聲を聞く。是(かく)の如く火血刀(かけっとう)の苦み間(ひま)なく億々萬劫(おくおくまんごう)にも出がたし。

愚(おろこ)なるか、一旦の名利に依って永く三途(さんず)に沈淪を受んこと。

拙いかな、此度、生死の苦海を出ずんば未来何んが(いかんが)菩提の彼岸に到らん。

速やかに三界六道を厭いて常楽の門に入(い)べし。

 

難しいですね。少し要約します。

人は六道世界を輪廻転生しますが、それを総称したのが四生と呼ばれるもので、母体より生まれる獣、人などの分類1と爬虫類や鳥などの卵生2、湿潤のなかから生まれる虫類3、そして業因により強制的に生まれ変わりをさせられる地獄、畜生、天界4などを総称したものです。

これらの世界はいずれも常住の世界ではなく繰り返し乍ら輪廻転生するのです。

そしてこの様な世界に生きる者たちを衆生と呼んでおります。

無常の世界を例示してみれば夜露朝露の様な儚さ、槿(むくげ)の花の様に朝に咲き夕べに萎む様な短い命の儚さ、樹木の葉が風に吹かれて飛ばされたり翻弄される様に儚いこの身。それらはあたかも稲妻の光の様に瞬時に輝き終わる儚さである。

人間の心と躰(五蘊)そのものも、仮の宿りに立ち寄った旅人の様なものです。肉体を指図する魂魄は仮の宿の主(あるじ)の様に振る舞うものゝ、やがては旅人の様に立ち去ってゆく。

そして、その行く先は、衆生が行き着く先は他でもありません、六道という迷いの世界なのです。

その前奏曲が中有(ちゅうう)と呼ばれるこの世とあの世の境の領域、つまり死後49日間は、その境にとどまって、行き先を探し求めるのです。

霊魂は行先に迷い肉体は山谷原野に晒されている。人の世の楽しみや天上界の幸福感は今となっては過ぎ去った夢の如くに遠のいてしまった。

無常迅速に襲ってくるのが八苦の苦しみです。生老病死の苦、愛別離の苦、怨憎会(おんぞうえ)の苦、求不得(ぐふとく)の苦、五陰盛(ごおんじょう)の苦であります。そして更に追打ちを掛けてくるのが五衰と呼ばれる天界の世界での心身の衰退です。

1衣服垢穢(美しい衣服が垢まみれに)、

2頭上華萎(頭の上の花がしおれる)

3身体臭穢(体臭が強くなり臭い)

4腋下汗流(腋から汗が)

5不楽本座(居場所が楽しくなくなる)

そして地獄や畜生道の果報とは、業に依って決まるものだ。

八寒八熱地獄、肉体を切られ、不具者となり飢えに苦しみ、鉄の杖で骨を砕かれ、刀の林に迷って肌を切り裂かれ、目に見えるのは鬼達の拷問自白を強制する姿、耳に聞こえるのは罪人達の泣き叫ぶ声、猛火、血しぶき、刀での殺傷などの苦痛は隙間なく襲ってくるし地獄の世界からの解放までの期間は途方もない程の長い年年月を経ないと出られない。

愚かなことは一朝の名利に迷って永らく留まらねばならない火途、血途(けちず)、刀途などに沈んで浮かばれない事。

これ程拙いことはない。

そうであるならば生死の苦海を出て未来にはどうして菩提の世界に行き着けないことがあろうか?速やかに三界六道を厭いて常楽の門に入るべきである。

一連の発想の大元こそが源信の著した往生要集ですね。

この娑婆世界を「穢れた国土」(穢国)てして、それを厭い離れるという意味であり、阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味。

穢(けが)れ →忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・月経などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる。

厭(いと)う →いやに思う。いやに思って避ける。

難しいことはわかりませんが、この世が嫌になって離れたいということだと思います。
そして極楽浄土に行くことを希望するということ。

その極楽浄土は、どんなところなのでしょうね。