仏教のことば:「雲水(うんすい)」

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雲水(うんすい)

「行雲流水」を略した言葉。
雲のように、水のように天下いたる所を住み家として行脚する修行僧。

師をたずね道を求めて各地をめぐり,あたかも行雲流水のように一ヵ所にとどまらずに修行する僧。

特に禅宗では参禅し師に仕えて修行する僧もいいます。

「雲水(うんすい)」とは

中国朝鮮日本における修行僧の呼称。

行雲流水(こううんりゅうすい)浮雲(ふうん)流水の略語のこと。

行く雲流れる水のように・・・

執着がなく自由に生きて禅の境地を得ること。

修行中の僧が一ヵ所にとどまらず自由に遍歴(へんれき)して・・・

よき師を求め歩く姿が雲水に例えられた。

修行僧は本来無一物(何も所有しない)となって、一所不住の頭陀抖擻(ずだとそう)すべきものである。

この意味は衣食住に対するすべての欲望を払いのけること。

修行下の禅僧はいわゆる雲水となって行脚(あんぎゃ)しなければならない。

その間に明師に会えば僧堂会下(えか)に一時とどまることもあるが、そこに定住することは許されない。

これまで通りの考え方から、柔軟に 考え方を変化させることによって、自分自身の苦しみからも解放されることが可能になるとの教えです。

それは、まさに、川を流れる流水のように、一か所にとどまることなく柔軟に、流れることによって、苦しみの岩石からも 上手に回避できることを示しているようです。

これが雲水といわれる修行者としての極意かも知れません。

世俗に生きる者も、その極意を身につけることが可能です。

それには、現在の生活に執着してはならず、いつでもその生活を捨てられるという心の準備が大切ですとはいうもののなかなか難しい問題ですね。