運心(うんしん)
菩薩戒をうけるとき、戒師の前で心をめぐらし、自分の罪を懺悔することです。
心をよせることです。
菩薩戒を受ける際、懺悔における心の置き方
湛然の『授菩薩戒儀』において、「逆順の十心を運んで重罪をまさに滅すべし」
生死の罪を順流の十心として明かし、これを逆上する心を逆流の十心とする。
逆流の十心とは、正しく因果を信じる、自ら愧て剋責する、悪道を怖畏する、瑕せいを発露する、相続の心を断じる、菩提心を発す、功を修し過を補う、正法を守護する、十方の仏を念じる、罪性の空を観じる、
の10の心であるとし、これら逆流の十心に沿って心を運ぶよう説いています。
運とは「心がけ」のことではないかと思うのです。
そして運を左右するのは「心をいれかえる」ことではないかと思うのです。
その人がどのような心がけをしているか、運の善い人は運の善い心がけをしているし、運が善くない人はやはりそういう心がけをしています。
運がいい心がけの人に私淑し、その人の心がけを真似び、それを実践していくことで運は開けていく話はあちこちで耳にします。
そうであれば、運とは心をいれかえることでいくらでも善くなっていく可能性があるということを示しているのです。
「心をいれかえる」というのは、変わる決心をすることからはじまります。
「運がついてる」
「運がない」
「運がよかった」
「運」という言葉はよくつかわれます。
私たちの幸・不幸を決定するのは「運」によるものが大きいといわれますが、この「運」の良し悪しは各々の過去にした行為「業(ごう)」によるのだと仏教では説かれていると思います。