仏教のことば:「尼(あま)」

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尼(あま)

梵語アンバーの俗語アンマーの音写。
女性で出家得度したもの比丘尼(びくに)のことです。
原語は、子どもが母を呼ぶおかあちゃん・あなたの意味です。
教団では、比丘(男の僧)が比丘尼を(アンマー)と呼んだ。

デジタル大辞泉の解説

あま【尼】
《発音は梵amb?(母)からといい、表記は「比丘尼(びくに)」の「尼」を用いたもの》
1 仏門に入った女性。比丘尼。
2 キリスト教で、修道院に入った女性。修道女。
3 (「阿魔」とも書く)女性をののしっていう語。
4 平安時代以後、肩の辺りで切りそろえた1の髪形。また、その髪形をした少女。
「―に削(そ)ぎたる児(ちご)の目に髪のおほひたるを」〈能因本枕・一五五〉
に【尼】
[名]《「比丘尼」の略》出家して戒を受けた女性。あま。
[接尾]出家した女性の名の下に添えて用いる。「蓮月尼」

比丘尼(びくに)

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
仏教における女性の出家修行者。

男性の比丘に対する。仏教の尼僧。パーリ語のビックニーbhikkhunの音写。

サンスクリット語ではビクシュニーbhikunという。語尾のニーは女性形を示す。かつてインド(のみならず、世界のどこにも)に女性の出家者は存在しなかったが、釈迦(しゃか)の養母が切願して出家したのが比丘尼の最初といわれ、以後しだいに増加した。

出家して戒(具足(ぐそく)戒とよばれる)を受け、それを保ち続け、男性の出家修行者の比丘とともに、仏教教団のもっとも重要な成員とされる。男女の差別を設けない仏教の平等主義の特徴を示す。

ただし、比丘尼の教団は比丘の教団とは独立して運営された。現在、東南アジア一帯の仏教(テーラバーダ=長老部(ちょうろうぶ)仏教)では、戒の授受が中絶したために、比丘尼(の教団)は消滅したが、大乗仏教を奉ずる中国、台湾、韓国、日本では、比丘尼が活躍しており、とくに韓国では比丘と同数を占める。[三枝充悳]

日本における比丘尼は、記録のうえでは、善信尼(ぜんしんに)と称した司馬達等(しばたっと)の娘がその初めとされる。

奈良・平安時代にも尼の存在は認められるが、鎌倉時代になると尼門跡寺ができるなど一定の地位が築かれた。

これらに対して、熊野比丘尼に代表されるような諸国を遊行する比丘尼が現れる。

男性のヒジリに対応するもので、むしろ尼形の巫女(みこ)で祈祷(きとう)や託宣を業とした。近世の歌(うた)比丘尼や、遊女にまで転落した売(うり)比丘尼はそうした流れをくむといわれている。[佐々木勝]

八百比丘尼(やおびくに)(福井県の民話)

若狭の国(わかさのくに→福井県)の古いほら穴には、人魚の肉を食べた女が八百才まで生きて身を隠したとの言い伝えがあります。

その女は尼さんになって諸国をまわったので、いつの頃からか八百才の尼さんという意味の、八百比丘尼(やおびくに)と呼ばれるようになりました。

さて、その八百比丘尼がまだ子供の頃、近くの村の長者たちが集まって宝比べをした事がありました。

その中に見た事もない白いひげの上品な老人が仲間入りをして、一通りみんなの宝自慢が終ると、自分の屋敷へ長者たちを招いたのです。

浜辺には美しい小舟が用意されていて、全員が乗り込むと絹の様な白い布がまるで目隠しでもするようにみんなの上にかけられました。

そして舟が着いた先は、とても立派なご殿でした。
老人の案内でたくさんの部屋にぎっしりとつまった宝物を見せてもらっている途中、

一人の長者が台所をのぞくと、

まさに女の子の様な生き物を料理しているところだったのです。
「なっ、何じゃ、あれは!? 人間の子どもの様だが、腰から下が魚の尾びれだ」

驚いた長者がその事をすぐにみんなに知らせたので、

後から出たごちそうには、誰一人手をつけませんでした。
それを見た老人は、
「せっかく人魚の肉をごちそうしようと思ったのに、残ってしまってはもったいない」
と、

長者たちが帰る時に土産として持たせたのです。
帰りもまたあの白い布がかけられて、どこを走っているかわからないままに元の浜辺へとたどり着きました。

そして舟がどこへともなく姿を消すと、長者たちは気味の悪い人魚の肉を海に投げ捨てました。

ところが珍しい物が大好きな高橋(たかはし)長者だけは人魚の肉を捨てずに家に持って帰り、とりあえず戸だなの中に隠したのです。

そして高橋長者には十五歳になる娘がいたのですが、この娘は長者が眠ってしまった後で、こっそりその肉を食べてしまったのでした。

人魚の肉を食べた娘は、年頃になると色の白い美しい娘になりました。

やがて結婚をして時が流れ、夫は老人になっていきましたが、どうした事か嫁は若くて美しいままなのです。

その美しさに夫が死んだ後も求婚者は後を絶たず、とうとう三十九人もの男に嫁入りをしたのでした。
その間、夫や村人が次々と死んで行くのに、女は年を取る事も死ぬ事もないのです。

人々は、
「年を取らんのは、人魚の肉を食べたからじゃ。あの女は人魚の肉を食べて、化け物になったのじゃ」
と、噂をしました。

そして誰からも相手にされなくなった女は、一人ぼっちの悲しさに尼の姿になって、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)に出たのです。

そして行く先々で良い事をしながら白い椿(つばき)を植えて歩き、やがて古里(ふるさと)に帰ってくると、

浜辺近くのほら穴のそばに白椿(しろつばき)の木を植えて、その中に入ったきり出てくる事はありませんでした。

おしまい