仏教のことば:「阿修羅(あしゅら)」

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阿修羅(あしゅら)

大海の底に一大王国をもち、きわめて好戦的で勇猛な鬼神。
単に修羅ともいいます。

詳しくは、下記のページをご覧ください。

「阿修羅の魅力」ホームページ

http://asura.buddha-osie.com/

(1) インドにおける悪魔の通称。しかし『リグ・ベーダ』においては,常に悪い意味とはかぎらず,特殊な神格をさす場合もある。ゾロアスター教のアフラ・マズダに相当する。

しかし,元来,鬼神のイメージが強かったものと思われる。『リグ・ベーダ』においては,インドラはデーバ devaであり,バルナはアスラである。イランでは,アフラ ahura(asura)が最高神となり,ダイバ daiva(deva)の地位が下落し,悪魔の意味になる。アスラは後世インドでは「神 (sura) でない (a) もの」,すなわち「非天」と通俗語源解釈され,悪魔の意味になった。

(2) 仏教に取入れられたアスラは,生きとし生けるものが輪廻転生する6種の生存状態の一つ。また,仏教を守護する8種の神格的生物の一種で,鬼神の一つ。胎蔵界曼荼羅にも配置されている。阿修羅像には,法隆寺五重塔塑像中の奈良時代初期の『阿修羅坐像』,興福寺の乾漆造『阿修羅立像』がある。

阿修羅(あしゅら)について

阿修羅は、もともと天界の頂上である忉利天(とうりてん)に住んでいました。
そして帝釈天(たいしゃくてん)のもと正義を司る神様でした。
ところがそこを支配している帝釈天と何度も戦い負けて追放されてしまったのです。

なぜ戦いを続けたのか?

それにはこんな理由があるようです。
阿修羅には溺愛する娘 舎脂(しゃし)がいました。
この娘に帝釈天が一目惚れします。
阿修羅も初めは名誉なことと喜んでいましたが帝釈天は下品な性格の上ある日帝釈天は舎脂をさらってしまったのです。
阿修羅はもともと正義の神様ですが帝釈天の行動を許せず無謀な戦いに挑みます。
ところが帝釈天には敵いませんでした。
阿修羅は何度も戦いを挑むうちに許す心を見失い復讐の鬼と化し天界を追われてしまったのです。

こんな理由もあって阿修羅像の表情はどこか悲しげに見えます。
3つの顔の表情が違う事もこうした複雑な理由があるそうです。

阿修羅が支配する世界は自分の妄執に取りつかれてひとを許す慈悲心を失った人が転生するようになりました。
そして永遠に戦いの苦しみを味わい続けるのです。

つまり阿修羅は大切な娘を奪われてしまった悲劇の神様なので。

世の中は悪と正義が戦いあって世界が作られていくことを阿修羅は伝えたいのかもしれません。

本当の悪ってなんでしょうか。

それを考えさせられる存在が阿修羅だと思います。