仏教のことば:「落飾(らくしょく)」

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落飾(らくしょく)

身分の高い者が髪を剃り落し、仏門に入ること。

剃髪のことです。


落飾(らくしょく)

高貴、身分の高い人が世俗から離れ髪を剃りおとし仏門に入ることを示す言葉。

主に仏門に入る高貴な女性に対し使用されていた。

出家(しゅっけ)

世俗から離れ髪を剃りおとし仏門に入ることを示す言葉。

出家という言葉は身分に関わらず、また性別問わず仏門に入る者に対し使用されていた。

出家は男女問わず、その身分に違わず使われる言葉で落飾は高貴の女性に使われた言葉です。
戦国の時代以前から「貞女は二夫に見えず」という貞淑な女性は夫と死別しても亡き夫に操を奉げた身とし、他の夫をめとらぬ誓いのようなものです。

逆に仏門から俗世にもどることを還俗と言います。

出家(しゅっけ)とは世俗から離れ髪を剃りおとし仏門に入るという意味です。

落飾(らくしょく)という言葉も出家と同じく、世俗から離れ髪を剃りおとし仏門に入るといった意味を持っていますが、一般的に高貴な女性が仏門に入った際に使用される言葉となっています。

何かのきっかけで「仏門に入ろう」と決めて実行をする時、それは通常出家と呼ばれます。

出家僧の中には高い身分の人々もいました。
貴人の出家は常人とは別で、落飾(らくしょく)と呼ばれます。
女性に対し使われることが多い言葉です。

飾りを落として仏門へ、と言えば聞こえもよく雅な趣がありますが、貴人とは時に権力者と繋がりがあります。
必ずしも大人しい僧侶、尼さんばかりではありませんでした。

北条政子

鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝を夫に持つ北条政子。
彼女もまた落飾した人物です。

初めは流罪になった頼朝を監視するのが目的でしたが、そのままラブラブになり、結婚。
しかし、夫の死後落飾してからは波乱万丈でした。

北条家が執権として権力を握る為に、「邪魔」とされた頼朝の子、孫を一族郎党皆殺しです。

この件で政子が批難を浴びることもあるようですが、「お腹を痛めて産んだ子を殺したいものか」と擁護する向きもあります。

政治に関わる以上、時には仏門に入っても平穏は望めないようです。

浅井初

浅井初は戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した女性です。

浅井長政と織田信長の妹・市の次女として誕生しました。

天正元年(1573年)父である浅井長政が叔父である織田信長と交戦するも敗北となり自害します。

その後母・市、姉・茶々、妹・江は織田信長の庇護を受けることとなりました。

本能寺の変で織田信長が死去すると、母である市は柴田勝家と再婚します。

しかし賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉によって柴田勝家と市は自害に追い込まれ、茶々、初、江は秀吉の庇護を受けることとなりました。

その後、初は京極高次と結婚し、京極高次亡き後は落飾し「常高院」と名乗りました。

篤姫

篤姫は江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した女性です。

江戸幕府第13代将軍徳川家定の正室となり大奥に入りました。

しかし、結婚からわずか1年9ヶ月後の安政5年(1858年)7月6日、夫である徳川家定が亡くなってしまったため、篤姫は落飾し「天璋院殿従三位敬順貞静大姉」とし「天璋院」と名乗りました。

将軍正室の御台所だけでなく、側室も落飾をするのが通例でした。
家光公側室のお万の方など、幾名かの例外もいますが、概ね将軍だけ以外の男性と触れ合わないよう、落飾をしていたのです。

大概、ドラマなどでは髪型を残したままの人物もいますが、尼僧の場合はセミロング程度に髪の毛を切る程度にとどめることがありました。

これは江戸時代だけでなく、古来よりのことです。
髪は女の命。
それをバッサリ切ることで仏に帰依するというわけです。
髪の毛を残す剃り方を薙髪(ちはつ)と言います。