迷惑(めいわく)

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迷(めい)は本当の道にまようことを意味し、惑(わく)は途方にくれてとまどうこと

「他人に迷惑をかけるな」「はた迷惑な話だ」「ご迷惑を、おかけいたします」「迷惑千万だ」から「近所迷惑」「迷惑駐車」まで、主として他人のことでわずらわしく、いやな目にあうことをさす日常語としてよく使われています。

迷惑とは、もともと、道理に迷い、とまどうことで、どうしてよいか分からないで、途方にくれることを意味していました。

迷(めい)は本当の道にまようことを意味し、惑(わく)は途方にくれてとまどうことを意味しています。

両方の字が示すように、この言葉も本来は迷いとまどうことを意味する仏教語です。

これは、文字どおり「迷い」「惑う」からです。


他人から受けた被害が、それほど大袈裟に騒ぎたてるほどのことでもなく、さりとてそのまま放っておくには癪(しゃく)にさわるというような時。

その程度の精神的苦痛を受けて、抗議してやろうか、それともじっと我慢しておこうか、と心の中であれこれ思いわずらい迷い悩む、そのような状態をいうようです。

例えば、夜間、暴走族が爆音をとどろかせて町中を走りまわるとか、満員の通勤電車の中でよっぱらいが座席3人分も占領して横になっているとかの場合、いずれも警告や注意を与えようか与えまいか、と多くの人たちは迷い惑う、だから「迷惑」なのです。

仏教では、仏の教えがわかりにくくて思い迷ったり、道理に暗くて理解に苦しむ状態を「迷惑する」といいました。

自分自身が困り惑うありさまであったが、いつのまにか、それが他人への加害を意味し、しかも被害者の受ける言葉となったのです。

こんな風に迷惑とは非常に意味が深いのですが、いずれにせよ、迷惑はだれにもかけないようにしたいものです。