仏教のことば:「精進(しょうじん)」

Pocket

精進(しょうじん)

一心に仏道修行にはげむことです。
普通、肉食を避けて菜食することをいいます。

サンスクリットのビーリヤの訳で,大乗仏教の実践徳目の一つ。悪事を断ち善行を修めるため雑念を去って勤めること。転じて心身を慎み酒肉を断つこと。神道では〈そうじ〉などとよみ物忌(ものいみ)と同意。神霊をまつる者は別火精進といって煮たきを別にし,精進屋を設けて居所を別にし,垢離(こり)をとるといって水で潔斎した。仏事では精進料理といって生臭(なまぐさ)物を忌むのに対し,神道では獣肉は忌むが魚はとることが多い。精進固めといって精進に入る前に魚肉を食べておき,精進の期間が終わると精進落しといって肉食し,弔いの後では四十九日にちなんで四十九餅(もち)などをつく。

出典 株式会社平凡社百科事典

仏教で「精進」といわれるのは「努力」のことです。
英語でいえば「エフォート(effort)」
分かりやすい言葉でいいますと「がんばる」ということです。

逆に「怠ける」ことは「懈怠(けたい)」といいます。

会社で怠けて働かずに給料だけ欲しいと思っても無理ですからみんな汗水垂らして働くわけですしスポーツで練習はせずに優勝したいと思っても無理なのでみんな必死で練習するのです。
どんな分野であれ、努力精進することは、非常に大切なのです。

「精進はすべての善の根本であって、仏教の覚りは精進し放逸(ほういつ)でないこと(不放逸)から生ずる」と言われるように、不放逸ということと併せて言われることが多い。
「放逸」とは欲望のままに流されて本来のなすべきことをなそうとしないことで、精進を妨げる大きな要因と見なされているからである。
このことは私たち自身が現実の中で痛感しますね。
私たちは、本当に自分がやらなければならないと思っていることがあっても、日々の忙しさや次々と生ずる欲望の中で後回しにしたり、忘れてしまったりすることが多いですよね。

精進は、仏教では、あらゆる善を6つにまとめられた六波羅蜜の4番目四聖諦の最後である八正道の6番目にもあげられる重要な行いです。

ブッダは『仏遺教経』に「もし勤精進を行せばすなわち事として難き者なし。
この故に汝等まさに勤精進すべし。
たとえば小水の常に流れば則ち能く石をうがつが如し」
と説かれています。

「小水」とは、雨だれの水滴のような小さな水です。
ところが、そんな雨だれの小さな水滴でも山門から継続してポタポタ落ちて、下にある石に当たっているとやがてその石に穴があくことがあります。

やわらかい水でも、継続することによって
固い石に穴をあけるのです。

精進料理といえば、魚や肉類を使わない料理であることは誰でも知っています。

祭りや葬式の後のように、心身を清める精進の期間が終わると
精進落ちとか精進明けと称して、肉食飲食の宴がもたれるのをよく見かけます。

この精進に、日本では新しい意味がつけ加わりました。

仏教が伝来する以前から神事で行われていた「潔斎(けっさい)」と結びついて
「精進潔斎」といわれるようになったのです。

心身を清め、行いをつつしむというものです。

肉や魚を使わない精進料理はこの意味から来たのです。