仏教のことば:「沙門(しゃもん)」

スポンサーリンク

沙門(しゃもん)

出家して仏道を修行する人をいいます。

当時のバラモンは、身分制度の頂点にたち、神へ祈りを捧げる祭事をバラモンだけで独占して取り仕切りました。
バラモン以外の階級の人々は神への祈りも禁止され、バラモンは独裁的な思想で社会支配を実施していきます。

そんな独占的なバラモン教に反対する考えをもった人々がバラモン以外の階級から現れ、独自で出家してバラモン以外の出家者になります。
そのバラモン以外の出家者たちが沙門(しゃもん)です。
ブッダもこの沙門の出家者です。

僧侶のこと。
サンスクリットのシュラマナの音訳で,古代インドにおいて家庭を捨てて出家し,衣を着て旅をしながら修行する行者をさした。
日本では《日本霊異記》に薬師寺沙門景戒(けいかい)とか,元興(がんごう)寺沙門慈応とかその用例がみえ,また上表文などに前入唐沙門最澄とか,沙門円珍と自署する例もある。
これらのことから,僧侶がその所属寺院や社会的身分を記す場合に,〈僧〉と同義語として使用されたことがわかる。出典 株式会社平凡社

六師外道(ろくしげどう)

六師外道(ろくしげどう)とはブッダ当時活躍していた沙門の修行僧たちで、仏教(ブッダの教え)と違う考えの見解なので、仏教の外の道(外道)と呼ばれています。

①プーラナ・カッサバは「道徳否定論者」で、いかなる悪を行っても罪はないし、どんなに良い行いの布施をしても、どんなに先祖を供養をしてもなんの功徳もないと説いた人物です。

②パクダ・カッチャーナは「唯物論者・ゆいぶつろんしゃ」で、この世界は、地、水、火、風、霊魂、苦、楽の七つの要素のみが動かず変化もしないで実在すると説いた人物です。

③アジタ・ケーサカンバリンは「虚無論者(きょむろんしゃ)・断滅論者(だんめつろんしゃ)」で、今生きているこの世界は地水火風の四つの元素のみが実在し、その他のものは実際には無く造りあげられた存在であると説く「虚無論者」、さらに死後にはなにも存在しない「断滅論」を主張し説いた人物です。

④マッカリ・ゴーサラ・・・「宿命論者・しゅくめいろん者」で生きている者が死んでいくのには何の原因もなく、毛糸の玉を投げて転がすと、ほどけながら糸がなくなるまで転がるように、輪廻の終わりで苦が消滅し浄化される宿命論を主張した人物です。

⑤ニガンタ・ナータプッタは、「われわれには煩悩による縛りがなく、自己の制御者で、自己完成者である」と説く人物です。
ニガンタは「束縛はない」意味でジナ(勝利)の教えといわれています。
ニガンタは30才で出家して12年間苦行をします。
その6年間はアージヴィカ教でマッカリーゴーサラと一緒に修業をしていたみたいです。
その後独立してジャイナ教をつくります。
徹底的なアヒンサー(不殺生戒)で生き物を殺さない戒律の厳しい宗派です。
現在のインドでもジャイナ教徒は存在しています。

⑥サンジャヤ・ベーラッティプッタは詭弁論者(きべんろんしゃ)で、断定的な判断は成立しないと、うなぎのようにつかみどころが無い錯乱論者ともよばれています。
お弟子さんにサーリプッタとモッガラーナがいましたが、後にブッタの弟子になります。

ブッダがいた時代のインドは、バラモン教という既存宗教と、バラモン教に反対する新しい思想とが混在するある意味宗教の転換期と言っても良いかもしれない時代でした。

インドの宗教にも新しい風が吹き始めます。
衰え始めたバラモン教に代わり、バラモン教を否定する新しい思想が次々と生まれました。

そして、この新しい発想を持った宗教家の人たちのことを「沙門(しゃもん)」と言います。
当時の最先端の思想を持った人たちが沙門というわけです。

沙門は、バラモン教を否定する立場の場合が多いですが、主に次の2点についてバラモン教を否定します。

・バラモンの伝統と、祭式に基づく権威の否定

・ヴァルナ制度による格差社会を否定し、人間平等の立場に立つ

そして、これら2つを実現するためには、輪廻(生まれ変わり)から抜け出す必要があり、そのためには瞑想や断食などの修行を行う必要があると考えられていました。
祭式などの伝統行事よりも修行こそが輪廻から抜け出すために必要であり、輪廻から抜け出すにはヴァルナ制度の階級は関係ない!ということです。

沙門の登場により、多様な思想が生まれたことで多くの宗教集団が生まれました。

ブッダが生まれた紀元前500年というのは、ちょうどバラモン教が衰退し多くの沙門の人々が登場した時代。
そして、ブッダ自身も沙門の1人であり、仏教は数ある沙門の思想のうちの1つということになります。