仏陀(ブッダ)の生涯(15)仏陀(ブッダ)の布教(1)

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“功徳(くどく)と縁起(えんぎ)の理法”

仏陀(ブッダ)は、マカダ国12万人の国民を教化するために布教に努めました。

国の人々には、カッサパが仏陀(ブッダ)の弟子となったことは信じませんでした。

そこで、仏陀(ブッダ)はラージャグリハの人々を竹林精舎に集め、カッサパと問答を行ないました。

これを見た市民は、カッサパが仏陀(ブッダ)のもとで修行をしていることを知り、仏陀(ブッダ)の教えを聞きに来るようになりました。

こうして、マカダ国では仏陀(ブッダ)の教えが広まりました。

ピンビサーラ王も、国内の村長を集めて、仏陀(ブッダ)の教えを聞くように命令しました。

ラジャーグリハには、250名の仲間を引き連れる懐疑派のサンジャヤと言うバラモンが住んでいましたが、サーリとモッガラーナの2人も彼に従って修行していました。

この2人は仏陀(ブッダ)に会い、彼の説く真理に惹かれていくのですが、仏陀(ブッダ)は2人に「師と250人の仲間と相談」してくるように説き、一旦帰しました。

懐疑派サンジャヤの教徒は、心理の存在を信じずすべてを、否定もしないが、肯定もしないというような考えでした。

この懐疑派の判断中止の思想は、深い思索による叡智によって無を認識する仏陀(ブッダ)の思想を妨げるものだったといわれていますので、正覚を得ようとする修行の妨げになると考え、2人をサンジャヤの元へ戻し、教団の者たちと話し合いをすることをすすめたのだと思います。

2人は、サンジャヤに、ゴータマ・仏陀(ブッダ)の思想について話し論じ合った結果、サンジャヤは理論に破れ血を吐いて死にました。

こうして、サンジャヤの弟子250人もすべて竹林精舎に来て、仏陀(ブッダ)の弟子となりました。

サンジャヤの弟子までもが仏陀(ブッダ)の弟子となったので、マカダ国の人々は竹林精舎に畏怖感を覚えました。

「マガタ国中の全員が出家したら、誰も仕事に従事するものがいなくなってしまう。」と思ったからです。

仏陀(ブッダ)は、竹林精舎の修行者は元々出家したものたちばかりだったから心配いらないと告げ、町の人々の畏怖を解消させました。

コーサラ国の大富豪アナータ・ピンダダが、商用でマカダ国に来ていました。
彼は慈悲深い人で、貧しい人々を救済したり、未開の土地を解放して農村を作ったりと、慈善事業も行なっていました。

彼は、シャーカ族の王子が新しい真理を自覚して、その教義を広めていることを知り、興味を持って長旅を続けてきました。

ピンダダは、竹林精舎の仏陀(ブッダ)を訪ね、サマデー(坐禅での心の統一)の”功徳(くどく)と縁起(えんぎ)の理法”を教えられました。

(この世の存在する一切のものが、相互依存し相互関連していることという教え)。