道楽(どうらく・どうぎょう)

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今、已に道楽を得る

本職でないことに没頭したり、好ましくない遊興にふけったり、現在、日常語としての「道楽」は、本来の意味からかけ離れ、あまり好ましくない表現として使われているように思います。

身持ちのよくない人間とか、怠け者を、一般に「道楽者」といいます。

さらに、酒色や博打に夢中になっている人間を、「極道者」と呼んだりもしています。

今日でいうマニアの類いにも、やはり道楽という表現がついて回るようです。

「食い道楽」「着道楽」「盆栽道楽」「釣り道楽」「女道楽」といった「○○道楽」というような表現ですね。

仏教では、この「道」について二通りの使い方があります。

一つは一種の世界を表し、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上のそれぞれに道をつけ、「畜生道」とか「修羅道」といいます。

畜生道といえば、畜生の生存する世界のことです。

なかでも地獄、餓鬼、畜生の三つが最も悪いとされ、「三悪道」と呼ばれています。

「道」のもう一つの意味は、迷いを断じて得た悟りの智恵を表します。

「菩提」「正覚」「等覚」などと同じに使われます。

道楽についてですが、これは仏教を修行することによって得た、悟りの楽しみのことで、法悦の境地を表すことばになります。

仏教では「ドウギョウ」と読みます。

楽は願と同義で、仏道を楽(ねが)うのが道楽の原意です。

この「道楽(どうぎょう)」の意味が転じて、『法華経』に「道を以て楽を受く」と説くように、道を修めて得られる「楽しみ」「悦び」を表すようになりました。

仏典に「今、已に道楽を得る」と説いているように、もと仏の道を求めることを意味した道楽が、道を修めて得られる結果の法悦を表すようになりました。

道楽が世俗の快楽と異なることは言うまでもないのですが、両者を混同しないように

「楽に二種あり。俗楽と道楽となり」と仏典は説いています。

しかしながら現代では、仏教のことばとしての「道楽」はいずこかへいってしまっています。

単なる趣味の楽しみに変わってしまったような気がします。

実をいえば当の私もいろんな趣味を持っていますので仏教の「道楽」から外れた「俗楽者」の一人です。