無間地獄(むげんじごく・むけんじごく)
八大地獄の一つ。
五逆罪を犯した者が熱火の苦しみをうけるという地獄。
無間地獄(むけんじごく)は、阿鼻地獄(あびじごく)ともいいます。
阿鼻は、阿鼻叫喚の阿鼻です。
無間地獄は、地獄の中でも最も苦しい世界です。
「無間地獄」の「無間」とは、
インドの言葉の「阿鼻」を中国語にしたものです。
意味は、「間が無い」と書くように、
休む間もなく、苦しみ続けるということです。
地獄説の内容、展開は、経論により複雑多岐であるが、日本では平安中期の源信が『往生要集』に詳しく説いた八大地獄の説が一般的である。
それによると阿鼻地獄は一番下層にあり、父母殺害など最も罪の重い者が落ちる。
そこへの落下に二千年も要し、四方八方火炎に包まれた、一番苦痛の激しい地獄である。
その罪人が歎じている一句がある。
我今無所帰 孤独無同伴
(我、今帰する所なく孤独にして同伴なし)
まず、無間地獄に堕ちる無間業という罪を犯した人は、死ぬと二千年の間、たった一人で泣きながら真っ逆さまに堕ちていきます。
これを「頭下足上(ずげそくじょう)」といいます。
その間、泣きながら「火しかないよー、熱いよー、隙間もないよー
地獄は悪人ばかりいるのに、誰も一緒に来てくれないよー、孤独だよー
真っ暗だよー、火の中に堕ちていくよー」
と泣き叫ぶと、閻魔大王の部下の鬼が、怒り狂って
「そなたは自ら無間業を造ったのであろう。
なぜ今さら後悔するのだ。
誰一人助けてくれる者はない。
この苦しみをひとすくいの水だとすれば、
無間地獄の苦しみは、大海のような苦しみだ」
と叱責します。
すると確かに下の方から聞こえてくる罪人たちの阿鼻叫喚の悲鳴を聞くと、苦しみが10倍になって悶絶し、堕ちていきます。
無間地獄:五逆罪を犯し、因果の道理を否定し、大乗の教えを誹謗し、四重の禁を犯し、信者からの布施を受けて暮らす。
・五逆罪:父を殺す、母を殺す、聖者を殺す、仏の身を傷つけて血を流させる、教団の和を乱し、破壊する、の5つの罪。
・大乗の教えを誹謗:この世の全ての存在を、悟りに導き、救おうとする仏の誓いや教えをけなすこと。
・四重の禁:婬(淫:不適切な性交渉)、盗、殺人、大妄語(悟っていないのに、悟っていると嘘をつくこと)
この地獄は、他の地獄と比べて桁違いに重い罪を犯した者が落ちる地獄です。
無間地獄の刑期は「中劫」という時間の単位で表されていますが、これは計算ができないほど大きな数字となります。
この地獄に落ちるのは他の地獄とは比べ物にならないくらいの罪を犯した罪人です。
責め苦や刑罰もとんでもなく苛烈で、この地獄にいる罪人から見ると、他の地獄が天界のような素晴らしい場所に思える、とされています。
罪人は、地下深くにある阿鼻地獄まで、二千年間落下し続けて到達します。
そして、落下していくの間にも、地獄から聞こえてくる声を聞かされ続け、恐怖心を煽られます。
阿鼻地獄の中心になるのは阿鼻城、と呼ばれる広大な城です。
縦横が8万由旬(約100万~130万km)もあり、七重の鉄の城壁と、七層の鉄の網で囲まれ、下には十八の隔壁を備え、刀で出来た林が周りを取り巻いています。
城の四隅には、銅の身体を持つ巨大な犬がいます。
稲妻のような目、剣のような牙、刀の山のような歯、鉄の棘のような舌を持ち、体中の毛穴から猛火と、悪臭を放つ煙を出す地獄の猛犬です。
城内には十八人の獄卒がいます。
この獄卒は羅刹の頭と、夜叉の口、六十四の目を持ち、鉄の塊を噴き散らしています。
鉤のように曲がった牙が上に突き出し、その牙の先端から噴き出す炎が、城内に満ちていて、頭上には、十八本の角を持つ牛の頭が八つ付いていて、角からはやはり炎が吹き出ています。
七重の城壁内には、七つの鉄の旗が立っていて、その先端から迸る炎が城内を満たし、四つの城門の敷居の上には、八十の釜が並べられ、沸騰した銅が湧き出て、城の中に満ちているといいます。
十八の隔壁のひとつひとつの間に、八万四千匹の鉄の大蛇がいて、毒と火を吐き出しながら、城内に溢れています。
大蛇達は万雷のような声で吼え、大きな鉄の塊を雨のように城に降らしています。
蛇の他にも、虫もいます。
その数、五百億匹で、一匹につき、八万四千の嘴があるといいます。
嘴の先からは、火が流れ出し、やはり城内に雨のように降りそそいでいます。
この虫が降りてくると、地獄の炎が高く燃え上がり、地獄の苦しみが全て集約されるのです。
この地獄では、獄卒達が、罪人の口の中から舌を抜き、百の鉄釘で張り伸ばしていたり、溶けた銅や熱い鉄の塊を口から注がれたり等の、他の地獄で行われていたような刑罰も行われています。
昔の人は、死後の世界、とくに地獄については多くの知識を持っていたようです。
お寺などに収蔵された地獄絵図が子どもの教育に用いられ、こういう悪いことをすると地獄に堕ちて、こんな酷い目にあうと、事細かに教えられてきたそうです。
現在では、そんな残酷な図を小さな子どもに見せるのはいかがなものか、とか、地獄なんて非科学的だ、などの考えもでてきたのでしょう、地獄絵図も一般にはほとんど見られることはなくなりました。
地獄に落ちないようにと子供の時に教えられたので悪いことはしてはいけないということが身についています。
こういう教育も、今の日本には必要なのではないでしょうか。