第14章は七仏通誡偈を元に清く正しい心で、自分が善であると思ったことをなしなさいというテーマです。
諸悪莫作 (しょあくまくさ)
衆善奉行 (しゅぜんぶぎょう)
自浄其意 (じじょうごい)
是諸仏教 (ぜしょぶつきょう)
大乗仏教ではいろいろの「仏」がいて分りにくいと思いますが、仏陀すなわち釈尊はもちろん仏です。
そのほかにも数え切れないほど「仏」がいます。
その原因は、「仏」という言葉の定義にあります。
覚った人はみな仏と呼ばれます。
また、亡くなられると成仏されたといいますが、仏になられたわけであり、人の数だけ仏がいるわけです。
ここでの仏は、仏陀(釈尊)の前にいた六人の仏と、仏陀とを合わせた七人の仏を意味していますので、七仏通誡偈といわれています。
その七人の仏が口をそろえて同じ事を説かれたのです。
悪いことをしてはいけない、皆のためになる良いことをしなさい、そして自らの心を清めなさい。
心を清めた上での善でなくてはならないのです。
善と悪との区別は元々存在しないのです。
これは第9章で出てきた「善と悪」でも説かれています。
何が善で何が悪かは定義づけることが出来ないのです。
ある行為は見方によっては善でもあり、悪でもあり得るのです。
魚を獲ってきて料理を作って出せば殺生です。
魚は殺生だけれども、草や木ならどうでしょうか?
草や木にしても一生懸命生きているので、殺したことに間違いはありません。
何が善で何が悪なのかこのように見方一つでも変わってしまうのです。
また、絶対的な善とか絶対的な悪というものの実在はありません。
空という見地から見てそれは実在しないのです。
それなのに、この詩は善をなせ、悪をなすなといっています。
でも心を清くしてと付け加えています。
清く正しい心で、自分が善であると思ったことをなしなさいと言うことなのです。
清く正しくない心では判断を誤るからなのだと思います。