第4章には、花と香りに関する詩が集められています。
この中で、花の意味には二通りあります。
一つは、仏陀の教えである善行を意味しますが、もう一つは欲望を示しています。
花を摘むのに夢中になっている人、というのは、心のおもむくままに何の制御もせず、ただ欲望を満たすことのみに奔走している人のことです。
言い換えれば煩悩そのままに生活している人のことです。
しかしその人達は多くの苦しみをかかえています。
「求不得苦」と言って欲しいものが手に入らない苦しみや、老いぼれていく苦しみなどです。
そして何とかして手に入れようとあせり、老いぼれないように不老長寿の薬を探し続けていると思います。
結局その解決策を手にすることなく、苦しみ続けていると思います。
まだ望みを果たさないうちに、一生を終えてしまいます。
第4章の中に、「学びに務める人こそ真理の言葉を摘み集めるであろう」、という詩があります。
早く気づいて、「真理の言葉を学び実行しなくてはなりません」と言っているのだと思います。
仏陀の教えと言うのは、縁起であるとか空であるとか、哲学的面をおおきな柱としています。
しかし同時に、実際に即した教えも併せ持っているのだと思います。
44
だれがこの大地を征服するであろうか?だれが閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろうか?わざに巧みな人が花を摘むように。
善く説かれた真理のことばを摘み集めるのはだれであろうか?
45
学びにつとめる人こそ、この大地を征服し、閻魔の世界と神々とともなるこの世界とを征服するであろう。
わざ巧みな人が花を摘むように、学びにつとめる人々こそ善く説かれた真理のことばを摘み取るであろう。
46
この身は泡沫(ウタカタ)のごとくであると知り、かげろうのようなはかない本性のものであると、さとったならば、悪魔の花の矢を断ち切って、死王に見られないところへいくであろう。
47
花を摘むのに夢中になっている人を、死がさらって行くように、眠っている村を、洪水が押し流して行くように、──
48
花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。
49
蜜蜂は(花の)色香を害をずに、汁をとって、花から飛び去る。
聖者が、村に行くときは、そのようにせよ。
50
他人の過失を見るなかれ。
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。
□ちょっとわかりやすく
他人がどうであるかが問題ではない。
自分が正しいかどうかを見つめよ。
51
うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばでも、それを実行しない人には実りがない。
□ちょっとわかりやすく
実行を伴わない人、言葉だけの人には良い結果はない。
52
うるわしく、あでやかに咲く花で、しかも香りあるものがあるよえに、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りがある。
53
うず高く花を集めて多くの華鬘(ハナカザリ)をつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。
54
花の香りは風に逆らっては進んで行かない。
栴檀もタガラの花もジャスミンもみなそうである。
しかし徳のある人々の香りは、風に逆らっても進んで行く。
徳のある人はすべての方向に薫る。
55
栴檀、タガラ、青蓮華、ヴァッシキー──、これら香りのあるものどものうちでも、徳行の香りこそ最上である。
56
タガラ、栴檀の香りは微かであって、大したことはない。
しかし徳行ある人々の香りは最上であって、天の神々にもとどく。
57
徳行を完成し、つとめはげんで生活し、正しい知慧によって解脱した人々には、悪魔も近づくよし無し。
58
大道に棄てられた塵芥の山堆の中から香しく麗しい蓮華が生ずるように。
59
塵芥にも似た盲(メシイ)た凡夫のあいだにあって、正しく目ざめた人(ブッダ)の弟子は知慧もて輝く。