須菩提尊者(スブーティ)
解空第一の須菩提(しゅぼだい)
北インド、コーサラ国の首都サーバティ(舎衛城)のバラモン家系の大長者の家に生を受けられました。
叔父さんは仏陀(ブッダ)に「祇園精舎」を寄進した須達多(すだった)長者です。
幼少より天才的頭脳を発揮し神童といわれるほどでした。
十歳をこえる頃には諸学を修め学ぶものが無くなったとのこと。
しかしその慢心からやがて他人を見下すようになり、世の中さえも蔑視するようになってしまったのです。
甚だしい虚無主義と、その性行からついに両親からも見放され、突然家を出てしまったのです。
数年間の放浪の末、幸いにも祇園精舎に至りました。
祇園精舎で仏陀(ブッダ)の説法を聞き、深く感銘して仏陀(ブッダ)のお弟子になったといわれています。
須菩提尊者は解空(げくう)第一と称されます。
解空とは、般若心経に出てきます「色即是空空即是色」の「空」、つまり、物事にとらわれない、執着しないという教理に精通されていたからです。
ある時、仏陀(ブッダ)が利天(とうりてん)にて亡き母・摩耶夫人のため説法を終えて、下界へ降りてこられるのを人々は我先にお迎えしようと待ち望んでおりました。
尊者はじっと座ったままでした。
そして真っ先に仏陀(ブッダ)をお迎えしたのは蓮華色比丘尼だったそうですが、仏陀(ブッダ)は比丘尼に向かって「私を最初に迎えてくれたのはあなたではなく、須菩提尊者です。
須菩提尊者は空を感じて私の法身を最初に拝謁したのですよ」と、いわれたそうです。
「空観」の悟りから「解空第一」と称せられ、諸弟子の中でも特に尊厳を集めたといわれます。
「解空」の「空」とは「色即是空」の「空」のことです。つまり「空」を理解した人ということです。
「空」とは「からっぽ」の中に「すべてが在る」ということ。
これが「空即是色」です。その逆、「すべてが在る」のは「からっぽ」の中、というのが「色即是空」です。
これが〝机上の空論〟であるうちは絶対に「空論」は理解できないと思います。
「色」と「空」が「同事」だと分かることが命題だと般若心経は説いています。
また、須菩提尊者は無諍(むそう)第一とも称されます。
無諍とは言い争いをしないことです。
穏和な性格で、教団内は勿論のこと、在家の人々からも慕われていました。
もっとも、和合僧の集まりを僧伽(さんが)(教団)というのですから、とりわけ模範的な比丘だったのだと思います。