仏教のことば:「行儀(ぎょうぎ)」

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行儀(ぎょうぎ)

出家した人の日常行為の規則のことです。
仏教行事の儀式のことをもいいます。

「行」はサンスクリット語「gamana」の漢訳で、歩みゆくことが原義。行住坐臥(ぎょうぎゅうざが)の行で、「仏道修行」の略語。

「儀」は規則・法則を意味する。
本来は仏教語で、仏教の修行や実践に関する規則や仏教儀式のことをいう。
それが一般生活における立ち居振る舞いにも使われるようになったもの。

「行儀(ぎょうぎ)」の語は、現在では我々の立居振舞の作法の意であるが、もと仏教の律の言葉である。

南山律宗の書『四分律行事鈔資持記(しぶんりつぎょうじしょうしじき)』に

行儀とは行事の軌式を謂ふ。像末(ぞうまつ)の教を以て行儀を顕さずんば安(いずく)んぞ能く久しく住せんや

とあって、釈尊入滅の後、年久しき時代にはまず戒律あるいは生活・行事のかたちを整えることが肝要である、と述べている。

仏教伝来の後我国においても「行儀」の語は、専ら仏事の方式あるいは僧侶の行為や動作の作法を表す語として用いられてきた。
この「行儀」の語が、僧侶以外の一般の人々の行動にも用いられるようになるのは、現在我々が使用している日本語の直接の先祖である室町時代の言葉からである。
御伽草子の『猿源氏草紙(さるげんじそうし)』に

かの殿の ふだんの行儀を委(くわ)しく知りて候

と使われているのが早い例であろうか。以後、とぎれることなく使われ続けて現代に至る。
冒頭に記した「お行儀がよい」はそこからさらに進んで、「よく行儀を守っている、乱れがなくきちんとよくそろっている」の意で、近代に生まれた用法である。

明治時代の作家巌谷小波の『妹背貝(いもせがい)』に

真白な行儀のよい歯が、二三枚垣間見(みゆ)る処、その可愛らしさ、実に何とも云へないと使われている。

「この子はお行儀がいいね」とか「この頃の若いものは行儀を知らないよ」
などと使われる行儀という言葉は、一般に起居動作の作法、立ち居ふるまいを表す言葉となっているようです。
「えらく他人行儀じゃないか」のように、行為そのものを指す場合もあります。

本来、出家修行者が日常行う「行(ぎょう)・住(じゅう)・坐(ざ)・臥(が)」などの行為の原則、
礼拝などの仏事の立ち居ふるまいの方法、つまり行事の儀礼を表す仏教語でした。
今ではそれが一般に取り入れられたようです。
イギリスに「行儀作法が人を作る」という諺(ことわざ)があります。
人は人格よりも行儀作法で判断されやすいものであるという意味です。
特に初対面の人にはその人の行儀作法の印象が大きいですね。