仏教のことば:「自信教人信(じしんきょうにんしん)」

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自信教人信(じしんきょうにんしん)

阿弥陀仏の本願の救いを自分も信じ、他人にも信を勧めることです。
他人への教化が阿弥陀仏への報恩となります。


自信教人信(じしんきょうにんしん)
難中転更難(なんちゅうてんきょうなん)
大悲伝普化(だいひでんぶけ)
真成報佛恩(しんじょうほうぶっとん)

これは、「自信偈(じしんげ)」と呼ばれ、法然上人がお師匠様、とひとえに仰ぎ慕われた、中国唐代の僧侶、善導大師(613~681)のお言葉に由来します。

その意味は、「自ら信じることによって人を信ぜしむ、これは難しいなかに更に難しいことであるが、如来の大悲はこうして伝えられ多くの人を救うのですから、まず自ら信ずることが真に仏のご恩に報いることになるのだ」ということです。

この言葉を忘れることなく一日一日を過ごします。ですから自ら信じる、南無阿弥陀仏の名号となって自分にはたらき続けている(と教えられた)弥陀の本願を信じなければならない、と言い聞かせながら生きていくことになります。

阿弥陀さまとか、本願とか、名号とかいわれても、言葉だけが頭のなかでグルグル回っているだけでまったくリアリティはないのですから、いつになったら信じることができるのでしょう。

「自信教人信」とありますから自分が信じてその後に人を導いて信じさせると理解してしまいますが、とんでもないことであります。

「自信」の前に「教人信」ありと味わうことができるのではないでしょうか。

「自ら信じ、」と「人を教へて信ぜしむること」との2つの部分のどちらに力点をおいてこの言葉を頂くか、実践するかということについてはいろいろな考え方があるようにうかがえました。

伝道、つまり「人に教えて信じせしむ」のほうを中心に実践して、その実践を通じて自らの信心も固めて行く、という方法良いのではないでしょうか。