仏陀(ブッダ)の生涯(4)仏陀(ブッダ)の結婚

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仏陀(ブッダ)の結婚

ゴータマ・シッタルダ太子が17歳の時、太子の妃を決める為、カピラヴァスツの公会堂に長老が集まりました。

会議の結果、シャーカ族に血筋の近い、王の妹の姫君、ヤソーダラ(耶輪陀羅)姫が候補に上がりました。

古代インド農耕社会では近親結婚が慣習化していました。

姫君は、柔和で貞順でもあり、太子にふさわしいと思われたようです。

太子も昔から姫君を知っていたので、既に仄かな恋愛感情を抱いていました。

太子とヤソーダラ(耶輪陀羅)姫との成婚に、カピラヴァスツの町は歓喜に沸き返ったとされています。

他の国々の王も、使節を派遣したり贈り物を贈ったりして、祝意を表しました。
祝宴は、3日も続いました。

太子が花嫁と共に新宮殿に入ったのは、結婚式を行なってから4日目のことでした。

ヤソーダラ(耶輪陀羅)姫が二十歳の時、妊娠しました。

太子は自分の母が出産によって死んだ事を思い返し、姫の妊娠がとても心配になりました。

ヤソーダラ(耶輪陀羅)姫は太子が憂い顔でいるのを見て、美貌で心柄の良い姫を選んで太子の第二夫人として与えました。

太子はあまり気が進まなかったようですが、そのムリガジャー姫を側室としました。

太子は、雨の宮殿で女達に囲まれて、淫楽と飲酒に明け暮れて退屈をしのぎました。

しかし、太子はそれらを歓楽と感ずるよりも、わずらわしいと思う方が多かったようです。

毎日、馬を飛ばしてヤソーダラ(耶輪陀羅)のもとへ戻ったりしました。

そんな日々の中、ムリガジャーは太子に対して、なぜいつもそのような瞑想をしているのか尋ねました。

太子は、人間の死について考えていることを語りました。

同時に、ヤソーダラ(耶輪陀羅)妃の事が心配でならない事を告げました。

太子は、ある朝不吉な夢を見てヤソーダラ(耶輪陀羅)妃のもとへ馬を走らせました。

太子は、ヤソーダラ(耶輪陀羅)妃に自分の心配を告げましたが、妃に雨の宮殿に追い返されています。

第二夫人は、太子が頻繁に妃のもとに帰るので嫉妬していました。

そこで、太子は何故自分が妃を案ずるのか、母の死のことも合わせて話しました。
こうして、ムリガジャーの嫉妬は少し解けたようです。

シッタルダ太子が心配していたほどのこともなく、ヤソーダラ(耶輪陀羅)妃は安らかに、王子を産みました。

シュットダナ王は孫の王子誕生を喜び、ラーフラ王子と名づけました。。
この「ラーフラ」とは「悪を倒す者」という意味ですが、読みようによっては「悪魔」とも読めるそうです。

なぜ、そのような名前を付けたかというと、この子供が産まれたことが、自分を俗世間に縛り付けるものであるように思えたからではないか、という説を唱える人もいます。