覚悟(かくご)
煩悩の迷いから目覚めて正法を悟ることです。
一般に覚悟といえば、あらかじめ心構えをすることや、心の用意をするという意味で使われています。
また、「覚悟しろ」などという場合は、あきらめることや観念することのようです。
『広辞苑』によると、覚悟は
①(仏教語)迷いを去り、道理をさとること。
②知ること。
③記憶すること。暗誦(あんしょう)すること。
④心に待ち設けること。心がまえ。
⑤あきらめること。観念すること、 と説明しています。
これをみますと、まず第一に仏教語としての意味を挙げているように、覚悟は「さとり」を基本とした仏教語だったのですね。
本来、覚悟は眠りからさめること、目がさめていることを意味する言葉ですが、もともと、「覚」も「悟」も「さとり」ということですから、迷いを去り、真理を体得し、さとりの智恵を得ることを意味する仏教語なのです。
一般では、仏教語としての意味で使われることは、少ないようですね。
仏教で言う「覚悟」はなおさら「はい、あります」などと簡単には口にできません。
本来の意味は「心理を体得してさとりを得る」ということです。
「覚」は「さとりの智慧」という意味で、仏教ではよく使われます。
単に覚えている、という記憶のことを示すわけではありません。
「覚者」は「さとりに達した人」すなわちブッダのことです。
迷いの眠りから目覚めた人のことです。「悟」も、文字通り「さとり」を意味しますから、「さとり」を二つ重ねた「覚悟」は何とまあゆるぎない言葉だと思います。
「覚悟がある」など、もうやすやすと口にできませんね。