仏教のことば:「以心伝心(いしんでんしん)」

スポンサーリンク

以心伝心(いしんでんしん)

「以心伝心」という語句は、日常会話の中でも、よく使われますが、、不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)と並んで、禅の主旨をよく表現した有名な仏教語です。

仏陀の教えは、確かに経典に記されていますが、それだけで、悟りの極意が伝えられるものではなく、仏陀の教えの心髄は、文字や言葉によらないで、心から心へと、じかに伝えられるものであることを意味している語句です。

「心を以(も)って心を伝える」という意味

考えていることが、言葉を使わないでも互いにわかること。

言葉では表せない仏法の神髄を無言のうちに弟子に伝えること。

意識(いしき)・意地(いじ)
意識は哲学や心理学の分野だけでなく「異性を意識する」「自意識過剰」「勝ちを意識してかたくなる」など、一般にも用いられている言葉です。

また、意地も「男の意地」「女の意地」とか「意地が悪い」「意地をはる」など、日常語となっています。

仏教では、物を見るはたらきの眼識、音を聞く耳識、においを嗅ぐ鼻識、味わう舌識、触れる身識の5つの感覚器官を五識といい、その奥にあって、それらを含めた一切のものを総括的にとらえ、認識し推理し追想する心のはたらきを、第六識とか意識といいます。

このような意識は、ひとりひとりの人間の全体を支配し、認識作用の根源であり、物事が成立されるところなので意地というのです。
心根(こころね)という意味なのでしょう。

仏教語であった意識や意地という語が、今では学術用語や日常用語として、通用している例です。

「以心伝心」という語句は、日常会話の中でも、よく使われますが、もともと、不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)と並んで、禅の主旨をよく表現した有名な仏教語です。

仏陀の教えは、確かに経典に記されていますが、それだけで、悟りの極意が伝えられるものではなく、お釈迦さまの教えの心髄は、文字や言葉によらないで、心から心へと、じかに伝えられるものであることを意味している語句なのです。

「心をもって心に伝える」

人間関係も、ここまでくるとりっぱなものなのですが、今では、もっと軽く「2人は何も言わなくても、心でわかり合えている」という意味に使われているようです。