極楽(ごくらく)
西方十万億土の彼方にあるとされる、阿弥陀仏が教主の安楽国土。
無憂苦の理想社会。
「極楽浄土」とは、大宇宙にはたくさんの仏がおられ、それぞれの浄土がある中でも、最高の仏である阿弥陀仏の浄土を極楽浄土といいます。
地獄と対にして、「地獄と極楽」などとも表しますね。
子供の頃から「悪事を働けば地獄に堕ち、善いことを行えば極楽に行く。
地獄は阿鼻叫喚のそれはおぞましい責め苦が待ち受け、極楽では全て満ち足りている」と言われてきた私たちにとって、「地獄と極楽」は道徳観を植え付けるには多少役立っていると言えます。
「極楽」とは正確に言えば、「極楽浄土」のことで、清浄な精神が拓く世界を示します。
『阿弥陀経』の前半には、この極楽のことが説かれています。
「これより西方に十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰う。
その土に仏まします、阿弥陀と号す。
いま現にましまして法を説きたまう」(聖典一二六)
極楽浄土には、極楽だけでなく、色々な別名があります。
阿弥陀仏の誓願に報いて建立された世界、ということで、「報土(ほうど)」ともいわれます。
また、阿弥陀仏のことを安養仏ともいわれますので、「安養界(あんにょうかい)」ともいわれます。
阿弥陀仏の極楽浄土でのみ開くことができるさとりを
「大涅槃」とか「大般涅槃」といいますので、極楽浄土のことを
「大涅槃」とか「大般涅槃」といわれることもあります。
他にも「無量光明土」
「蓮華蔵世界」
「寂静無為楽」
「楽邦」
「浄邦」
「実報土」
など、色々あります。
極楽浄土は「天国」ではありません。
極楽浄土は、六道輪廻を離れた世界です。
神の国である天国は、仏教では「天上界」といいますが、迷いの世界である六道の一つですからやはり寿命があり、次に地獄に堕ちることもあます。
ところが、極楽浄土は、輪廻を離れていますから、二度と地獄に堕ちることはありません。
極楽浄土に生まれた人の寿命も無限です。
「輪廻」は迷いの世界だけに使われる言葉ですから、極楽浄土に転生するとは言いますが、極楽浄土に輪廻するとか、輪廻転生するとは言いません。
極楽浄土がどこにあるのかということについて、お釈迦さまが『阿弥陀経』に、「ここより西のほう、十万億の仏土を超えて世界あり、名づけて極楽という」
と説かれています。
この世のことを「穢土」といい、穢れた苦しみの世界ですが、極楽浄土には、苦しみは存在せず、ただ楽しみだけが存在するので「極楽」といます。
極楽浄土は、本来言葉に言い表せないのですが、「余方因順(よほういんじゅん)」といって、お釈迦さまが説かれているのは、私たちに合わせて、私たちに分かりやすいもので説かれています。
極楽とは、太陽の沈む方角で、全ての物が帰る世界が開かれた場所なのです。
人がその生涯を尽くして帰って行く阿弥陀仏の世界。
「過十万億仏土」と呼ばれる、命のふるさと。
そこまで行く過程には、生涯を通じて自分や他人や社会に想いをはせ、欲望とは離れた心のはたらきで、問いかけ続ける必要があるのです。