遇茶喫茶(ぐうさきっさ)
茶に遇うては茶を喫す、と読む。
悟りを得た人は淡々と生活をして、なんのこだわりもなくそのままが仏道の生活である、という意味です。
碧巌録のことばである。
遇飯喫飯と同じ。
禅の言葉で、
「逢茶喫茶 逢飯喫飯(ほうさきっさ ほうはんきっぱん)」
という言葉があります。
「茶に逢ては茶を喫し、飯に逢ては飯を喫す」
お茶が出たらお茶を飲み、ごはんが出たらごはんを食べる。
雨の中の托鉢、托鉢のときは托鉢に熱中する。
「お茶が出たらお茶を飲み、ご飯が出たらご飯を食べる」
あたりまえのことでは? と思うかもしれません。
食事の時に、「ああ、ほかのものが食べたかったな」と思ったり、心配事を考えていたり、テレビを見ていたりして、食事に集中するということは案外できていませんよね。
この禅語が意味することは、
「寄り好みなどせず、縁にしたがい、 目の前のことに素直に集中する」
ということです。
自分にやってきたことを「喫す」味わうということです。
ご飯も、集中して味わえば、旨みも増しますし、天の恵みや育てた人への感謝の気持ちもより湧いてきます。
無意識に行なっている行為でも、意識を集中して行なってみる。
たとえば呼吸ひとつにしても、鼻から吸い込んで胸を膨らませるのではなく、腹に吸い込んだ空気を入れてやるという意識でやる。
腹式呼吸というものですが、これを意識してやってみる。
歩く時も、足の裏が、かかとから指まで体重が上手にのって、体が前に進んでいるなと気がついたら、「歩くことって素晴らしい」と思えますし、歩く時の姿勢に気をつければ、歩きながらシェイプアップできるのも分かります。
ものごとを「喫する」と、日常も味わい深くなります。
自分に起こることを、集中して味わうそういう意識を持つだけで、世界が随分と違って見えるはずです。
あたりまえのことを あたりまえにできる、
ご飯を食べる
お茶を飲む
托鉢する
お経を読む
楽しく話をする
人として最高の幸せなことですね。