仏陀の教え(9)人生とは「苦」を背負って生きていく道

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一切存在は五蘊から成り立っており、それ故、無常・無我である

人生とは「苦」を背負って生きていく道であるそこでブッダが語ったのは、この人生は「苦」だということだったわけです。

なぜ苦なのかといえば、

人は生まれた瞬間から死に向かって一歩一歩、歩いていく存在であり、どんな希望を持とうが人間の命は儚いものであるからです。

しかも人は老いて、病気をします。

そういう人生とは「苦」を背負って生きていく道である、と考えたんです。

人生の苦の内容を解いてみると、一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります。

この二つが合わさって「苦」の原因になっていると思うのです。

そして、この二つとも自分が中心にあります。

だからブッダは「苦」というものをどこまでも自分の問題として考えていました。

ブッダは、そうした「苦」の本質を四つに分けて説明していました。

つまり、

  • 「欲望に基づく苦」
  • 「無知に基づく苦」
  • 「人間存在そのものに根ざす苦」
  • 「無常に基づく苦」

の四つですが、

このうち「欲望」と「無知」から苦が生じるというのはわかりやすく、人間は欲望が満たされないから苦を感じます。

またそうした欲望が自分の内側に向けられると、自己矛盾や自己否定を引き起こしますが、どうしてそうなるのかがわからないから一層大きな苦を感じてしまうというわけです。

人生の苦の内容を解いてみると、一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみがあり、それから万事自分の思うようにならないという不満の悩みがあります。

この二つが合わさって「苦」の原因になっていると思うのです。

この世の苦しみをまとめた「四苦八苦」という教え三つめの「人間存在そのものに根ざす苦」というのは、これは「四苦八苦」のことです。

「四苦八苦」
「四苦八苦」は仏教の根底となる教えですが、
まず四苦ですが、これは時間的な苦悩で「生・老・病・死」ということになります。

まず生まれて来たという苦しみがあります。

「生」とは「老・病・死」を統括したものだと考えていました。

つまり、生まれて来たから老いの苦しみがあり、病の苦しみがあり、死の苦しみがあります。

「老・病・死」の苦しみの一番の元は生まれたことだ、「生まれざりせば」と、する向きもありますが、一理あります。

生まれて来たことが苦しみの始まりである。

次の八苦ですが、これは八つの苦があると思っている人が多いようですけれど、違います。
時間的の四苦に、空間的の

  • 怨憎会苦(おんぞうえく)
  • 愛別離苦(あいべつりく)
  • 求不得苦(ぐふとくく)
  • 五陰盛苦(ごおんじょうく)

の四苦を加えて八苦とするので、四苦の他に八苦があるのではありません。

五陰:五蘊の旧訳:現象界の存在の五種の原理。

色(しき)・受・想・行(行)・識の総称で、物質と精神の諸要素を収める。

色は物質及び肉体、受は感受作用、想は表象作用、行は意思・記憶など、識は認識作用・意識。

一切存在は五蘊から成り立っており、それ故、無常・無我であると説かれています。