「初転法輪」とは最初の説法
仏陀(ブッダ)の体得した真理は、五人の修行者にも伝わりました。
論理的認証と思索によって他の修行者へ伝達可能であったことは、仏陀(ブッダ)の教えを広める上での飛躍であった(こうした理由で、後代の人々は仏陀(ブッダ)ガヤー(※ナイランジャー川の菩提樹の下)だけでなく、この鹿野苑も重要な仏跡とした)。
このサルナートでの仏陀(ブッダ)の最初の説法を、”初転法輪(しょてんほうりん)”と言います。
仏教では、説法の事を車輪の輪に例えて「法輪」といいます。
「転」とはこの車輪を動かす事、従って初転法輪とは最初の説法の事をいいます。
こうして仏陀(ブッダ)の教えの最初のサンガが生まれました。
サンガとは「仲間」の意味で修行の集団のことです。
ヴァーナラシーに、ヤサと言う富豪の青年がいました。
ヤサは、仏陀(ブッダ)のもとを訪れて教えを乞いました。
自分の青春時代と似た生活を送っているヤサに、仏陀(ブッダ)は鹿野苑で修行するように勧めました。
仏陀(ブッダ)はヤサの父に人間の”四苦”や、解脱するための無常無我の教えを説いました。
ヤサの父も(家族も)仏陀(ブッダ)の教えに帰依しました。
ヤサは仏陀(ブッダ)の7番目の弟子となりました。
ヤサの友人50人もヤサ同様に出家しました。
仏陀(ブッダ)は、ヴァーナラシーに教えが根付いたので、ヤサと五人の聖者にそこを任せて、自らはウルヴェーラーへ行きました。
ウルヴェーラーの森で安坐していると、妻を同伴した30組の一団が森に遊びに来ました。
そのうちの一人が妻がいないので、売春婦を連れてきていましたが、その女性が男の財布を盗んで逃げました。
大勢が、この売春婦を追いかけました。
彼らがゴータマ・仏陀(ブッダ)に逢うと、逃げた女の行く先を尋ねました。
すると仏陀(ブッダ)は、物への執着心が、中間達を危険にさらしていることを男に説く。
男と仲間達は仏陀(ブッダ)の言葉により目を開かれ、仏陀(ブッダ)の教えに聞き、信奉者となりました。
この女に逃げられた男は、仏陀(ブッダ)を自分の馬車に乗せウルヴェーラーに行きました。
男の村には、高い呪力を持ち洞窟に火竜を養うバラモンのウルヴェーラー・カッサパがいて、彼の魔力を恐れる村の五百人もカッサパの意のままになっていました。
仏陀(ブッダ)は、カッサパに会うことにしました。
初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指す。
菩提樹下で悟り、仏陀となった釈尊は、「ついに悟った。このよろこびは何ものにも替えがたい」と、法を悟った楽しみ、悟りを開いたよろこびに何日も浸っていました。「私が悟った法は、無師独悟のものであって、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。自分ひとりのものとして、この悟りのよろこびの中に生涯を終えるのも悪くない。」と思っていたのでした。
そこに、梵天があらわれ、釈尊にこう告げます。
「あなたは、悟りを自分独りのものとして、よろこびを満喫しているようですが、あなたが悟りを開いたのはいったい何のためであったのでしょうか。教えを説くことは難しいことかもしれませんが、多くの人びとの救済のために、あなたはあえてその法を説かねばなりません。」これを「梵天勧請[ぼんてんかんじょう]」といいます。梵天が、「法を説いてください。どうかその悟った法を多くの衆生のために説いてください。」ということを強く言うわけです。
そこで釈尊は、伝道を決意し、かつて一緒に苦行を重ねた5人の修行者たちを探し、サールナートで最初の説法をするのです。これが、「初転法輪[しょてんぼうりん]」とよばれているものです。