仏陀の教え(15)「八正道について」

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八つの正しい道、八正道とは

八つの正しい修行の一つ目は「正見」。

正しく見る、観察をします。

何か原因でこういう結果になったのかを見る。

これが原始仏教において釈尊の悟った一番目のことだったんです。

二つ目は「正思」です。

正しく思います。

これは「正思惟」の略です。

ものをよく深く考えるということで、十七世紀のフランスの思想家パスカルも「人間は、思惟するから尊厳である」といっていました。

三つ目は「正語」。

正しい言葉。

因果関係からいえば、いい言葉を使えばどういう結果が生まれるか、悪い言葉を使えばどういう結果が生まれるかは明らかです。

つまり「正語」を使う修行をしなくてはいけないのです。

仏教では善し悪しは別にして、「語」というものが一番問題になってきます。

りようぜつきご悪い言葉には四つあって、悪口、二枚舌(両舌)、綺語(飾り言葉、お世辞)、嘘(妄語)がそれにあたります。

四つ目は「正業」。

これは「しょうぎょう」と読まずに「しょうごう」と読みます。

日本では「業突爺(ごうつくじじい)」などといいますけれど、業は行為です。

だから正しい行為を正業、悪い行為を悪業といいました。

五つ目は「正命」。

この場合、「命」は生命でなく生活を意味し、「正命」とは出しい生活をすること。

六つ目は「正精進」です。

「精進」は「励む」ということ。

野菜料理のことを精進料理といいますが、「正精進」とは正しい努力をするということです。

七つ目の「正念」

七つ目の「正念」は「正恵」と似ていますが、念は〈思い考える〉思索で、その内容が正しくなければいけないといっていました。

八つ目が「正定」

八つ目が「正定」ですが、これは精神統一を図るということ。

この精神統一が鍛終の目的であって、精神統一をするためには正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく行い、正しく生活をし、正しく励まなくてはいけありません。

それによって精神統一ができていくというのが原始仏教の見方だったわけです。

これらを実践して身につけていくことはなかなか大変ですが、語られている内容そのものは決して難しいことではありません。