仏陀の教え(10)「四苦八苦」

スポンサーリンク

「四苦八苦」とは

怨憎会苦(おんぞうえく)

「怨憎会苦(おんぞうえく)」ですが、これは怨み憎しみ合う同士が会うことです。

すると互いに頼ることができないので、ともにいて苦しむことになります。

たとえば敵同士だと思うような人間が夫婦になるとか。

別れたらいいのですけれど、別れることもできません。

これは苦しいことです。

自分を憎み、嫌いだという相手への思いは、必ず相手にも反映して、自分のことを憎み、嫌われます。

相手がなぜ自分にとって嫌いなことをするのかということを考え、相手の立場に立って想像力を働かせれば、その人が、生まれつき愛されない環境に育ったとか、あるいは、ずっといじめられてきたとか、欲求不満の固まりであるとか、そういうことがわかります。

そうすれば、ただ憎むよりも哀れみを感じることができます。

憎しみを哀れみに変えることが出来れば、自分も救われると思います。

「愛別離苦(あいべつりく)」

「愛別離苦(あいべつりく)」、愛する者と別れたくなくとも別れなければならない苦しみがあります。

尾崎紅葉の『金色夜叉』は有名ですが、「愛別離苦」をテーマにした小説は昔から数多くあります。

人の苦しみの中でも、とりわけ重いのは、愛する人と別れねばならない苦しみで、これを「愛別離苦」と言うが、生きる者すべての人が背負わなければならない自然の道理ですね。

その道理に触れて納得した時、今生かして頂いている命を大切にしようと思い、人にやさしくなれるのではないでしょうか。

「求不得苦(ぐふとくく)」

「求不得苦(ぐふとくく)」というのは求めるものを得ることのできない苦しみです。

いまでいう欲求不満です。こういう苦しみもあります。

「求めるものが得られないから苦しい」という文字通りの意味だけではありません。

求めて手に入れても、それを喜べず、さらに他のものを求めてしまう。

そのように自分で自分を苦しめている姿を「求不得苦」ということばは教えています。

人生を親鸞聖人は和讃に
“生死の苦海ほとりなし”(しょうじのくかいほとりなし)
と書かれています。

苦しみの海にはほとりがない、果てがないということでしょう。

「五陰盛苦(ごおんじょうく)」

これはいろいろ解釈があります。

仏教的な見方では、極めて素朴ですが、原始仏教では、人間の体は五つの要素が集まってできています。

五つの要素は「地水大風空」です。

  • 「地」は大地のように固い骨。
  • 「水」は唾液とか血といったような液体。
  • 「火」は熟ですから体温。
  • 「風」は呼吸。

そういう四つのものが集まって、これが「空」であると考えられています。

これはインドのものの考え方です。

「地水火風」と四要素を列記して、その全体を集めて「空」とします。

この空をも合めた五つが苦しみになるというわけです。

それはどういう意味でしょうか。

五陰とは、色受想行識の五つを指します。

人の精神的作用を構成している五つの要素と思って下さい。

般若心経にもありますように、五陰は「空」です。

病気をしたとき、周りの人はあなたに優しくしてくれますね。

その時あなたは、有難いとか、うれしいとか思いませんでしたか?。

精神的に追い詰められてるとき、「つらいね」と声をかけられ、目頭が熱くなったことってないですか。

元気溌剌のときは、感じない自分の周りの「お陰さま」。

体も心も元気だから、「ほっといて!」「人の勝手でしょ!」とかつい思ってしまいます。

この「五陰盛苦」は、なかなか意識しにくい苦です。

五陰が盛んであれば健康な証拠ですが、この健康が苦しみになるという意味です。

いわゆる「元気を持て余す」という苦悩です。

現代の若者にいろんな乱暴な行いがあるのは、精力が盛んで元気を持て余してしまっているからです。

過剰な健康も苦しみになる。

だから人間は「求不得苦」で苦しみ、「五陰盛苦」でも苦しむ。

どっちに転んでも苦しみになっていきます。

これが四苦八苦というものです。