罪悪(ざいあく)
本来の道理に反し、または戒律を犯して苦果を招く行い、人から非難を受ける行いを罪といい、このような罪となる悪業を罪悪といいます。
貧・嗔・癡の三毒、特に大乗では嗔・癡をいいます。
悪とは何でしょうか?
キリスト教では、悪の根源がただ1つあり、それは「原罪(げんざい)」です。
「原罪」とは、キリスト教で神が創った最初の男女とされるアダムとイブが、神が食べてはならないというリンゴを食べたことです。
その神に背いた罪悪により、人間は死ななければならなくなったと教えられています。
そして、その他の世の中にある色々の悪は、この原罪から派生してきたものだと教えられています。
仏教で悪とは、「不善」ともいい、「苦しい結果を生み出す原因」です。
仏教の根幹は、
善因善果
悪因悪果
自因自果
の因果の道理です。
善い行いは、幸せな運命を生みだし、悪い行いは、不幸や災難を生み出します。
自分の行いの報いは自分が受けなければなりません。
この「悪因悪果」で苦しい結果を生み出す心と口と身体の行いがすべてが悪です。
この世も未来も苦しい運命を引き起こします。
その人間の犯す色々の悪を10にまとめて「十悪(じゅうあく)」が教えられています。
十悪とは、以下の10の罪です。
1.貪欲(とんよく)……欲の心で造る罪。
2.瞋恚(しんい)……怒りの心で造る罪。
3.愚痴(ぐち)……ねたみ、怨み、嫉妬の心で造る罪。
4.綺語(きご)……心にもないお世辞で相手を騙す言葉。
5.両舌(りょうぜつ)……二枚舌。噂や陰口。仲の良い人の間を裂いて、
仲を悪くさせる言葉。離間語ともいう。
6.悪口(あっこう)……中傷、わる口。他人を傷つける言葉。
7.妄語(もうご)……相手を苦しめる嘘。
8.殺生(せっしょう)……生き物を殺すこと。
9.偸盗(ちゅうとう)……泥棒。他人のものを盗むこと。
分不相応なものを所有したり、他人の時間を奪うこともいう。
10.邪淫(じゃいん)……不倫や浮気など、よこしまな男女関係。
最初の3つの「貪欲」「瞋恚」「愚痴」は心で犯す罪悪です。
それが口に現れれば、
「綺語」「両舌」「悪口」「妄語」としかなりません。
さらに体では、「殺生」「偸盗」「邪淫」の罪を造っています。
これらが悪であり、苦しい運命を生み出す心と口と身体の行いの代表です。
ところが仏教には、もっと怖ろしい悪があります。
それが、五逆と謗法です。
十悪より怖ろしいのが五逆、五逆より怖ろしい、仏教で最も怖ろしい罪が謗法罪です。
仏教では「殺生」が最大の罪とされていることを、「殺し続けて生きる」、いや、「殺さなくては生きられない」をほとけが知らせんとするものと理解しています。
それは、「殺生」を「最大の罪」として示すことによって、我々にいのちに対する「かなしみ」や「いたみ」の感覚を要求し、目覚めを促すのだと解釈しています。
あらゆる命あるものの「命を奪う」ことを「殺生」といい、仏教の戒律の中では最大の罪として、最も強く禁じてきました。
仏教は、人間が生きる為には、他のもののいのちをもらわなければ生きていけないという自覚に立って、この最大の罪を人間の根本的な問題としても考えてきています。
人が集まれば、人との接点が増えます。その分、人の間で衝突が起きやすくなってしまうのは物の道理なのかもしれません。
衝突が起こる原因として二つの事が挙げられています。
それが「罪を罪として見ない事」「謝罪を受け入れない事」です。
罪というのはここでは怒りということになるでしょうか。怒りは根本煩悩の一つです。
怒りに飲まれた本人は、自らの行為がお釈迦さんの教えに背く行為であると、その時自覚していなかったでしょう。
正確には教えなんかどこかに飛んでしまって、自らの行為を自覚する暇もなかったのかもしれません。
誰でも自分がどす黒くなることより清廉潔白であることを望みます。
しかし白くありたいと願えば願うほど、黒い存在は認められなくなります。
認めなければ許すことはできません。
そんな気持ちが謝罪を受け入れられない原因にもつながっているのではないかと思います。
罪は罪には変わらない。罪を犯すことを認めてはならない。
そんな真っ白さ、正しさは返って争いを生み出す原因にもなりかねません。
争いが起こるのは何も罪を犯した時だけ起こるだけではない。許さない時にも争いは起こるものだとこのエピソードは伝えてくれています。
「罪を罪として見ない事」と「謝罪を受け入れない(許さない)事」は、黒と白のように正反対の立場でありながら同じこと。
言い換えれば「謝罪を受け入れる(許す)事」は「罪を罪として見る事」と同じくらい難しいことなのかもしれません。
自らの行動を省みることなく謝罪をしない人は許されることはなく、ひたすら罪を責め続ける人は許すことができない。
自らの行動の意味を見るのも、謝罪を受け入れ許すことも、きっと人間の黒さも白さも受け入れなければできないことなのでしょうね。