江湖(こうこ)
昔の中国の、呉越の要地である三江五湖のことで、そこから転じて、世間とか社会の意味につかわれています。
禅宗用語としての江湖
中国の唐代に活躍し、後に禅宗の中心的な教団となる馬祖道一と石頭希遷の2人が活躍した地域が、現在の江西省と湖南省であり、そこから禅宗僧侶の世界を「江湖」と称するようになり、後に「江湖会」と言えば、夏安居を指すようになった。
中国文学用語としての江湖
中国の大衆小説の中で大きな位置を占める武侠小説の中において、武術を身につけて結束、団体化した人々が所属する一般社会とは異なる特殊な社会のこと。
『水滸伝』が起源と言われているものの、定かではない。
江湖は古くは『荘子』(莊子・内篇・逍遥游第一)に見られる。
古語では五胡四海の広い世界のことを表し、「走江湖」といえば、各地を流浪することを意味した。
後には江湖は俗世間から離れた隠士が住まう世界のことをも指すようになった。
上流階層に属する者にとってそれは朝廷や権力といったしがらみの世界と相対する自由で自然な、一種の理想郷的な世界のことであった。
南宋後期の江湖詩派と呼ばれる詩人たちは下級官吏であったり、山林の隠士であったためにその名が付けられている。
武侠小説においては、そうした江湖が持つ既成の概念を利用しつつ、武術の使い手たちに焦点を当て、侠義を尊ぶ気風や、 官に対する反撥、無法性といった要素を加味して、半ば架空の世界を造り上げている。
なお、同じ武侠小説で使われる言葉に武林があるが、江湖と同じような意味合いで使われることが多い。
武侠小説とは中国の大衆小説の一種で、江湖という半ば架空の世界を舞台に、武術に長け、義理を重んじる人々を主人公とした小説の総称である。
武侠小説における、「侠」とは己の信条に則って正義のために行動しようという精神の在り方であり、そこに手段としての「武」が加わったものが「武侠」である。
江湖とはそもそも長江と洞庭湖のことで、最初は別の意味を伴わない、単なる地理的な意味を表す言葉であった。
この意味は後に「江河湖海」つまり河と湖の総称へと広がった。
江湖」が意味する天下は日常の世界とは異なる世界である。
それは「江湖未静」と表現されたり、「神農薬書、世人災患」などの言葉とともに使用されたりする。
つまり、平穏な空間ではなく、危険や災難が常在する混乱の空間、神農の医書すら存在する不思議な空間である。
この場合、江湖はどんな事でも起こりうる世界としての空間である。
このような江湖は中国人たちの世界認識の表現の一つとしてみなされるが、その世界はまさに混乱と危険、さらには理解不可能な、神秘に満ちた空間である。
江湖という世界に対する認識は曖昧で、抽象的です。