仏教のことば:「還俗(げんぞく)」

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還俗(げんぞく)

戒を破った出家が、俗世間に戻って俗人となることです。
また自分の願いで僧侶をやめて俗世間にもどることです。

還俗(げんぞく)とは、出家して僧尼となり、後にまたもとの俗人に戻ること。また、特に僧侶が戒律を破ったり仏教で定める法に触れたりして、俗人に戻ることです。自ら僧の道を辞める「帰俗」と区別される場合もあります。

ひとたび出家して僧尼となった者が、もとの俗人に還ること。また戒を破ったり、罪を犯したために、所属する宗派等より破門され、俗人にもどること。

法然の御法語では、釈の雄俊という男について述べられている。

雄俊は七度還俗、つまり七度出家し、七度還俗している悪人であった。しかし、閻魔大王に会った際、還俗をした身であるが、念仏を称えている功徳を主張したところ、閻魔は冠を傾けて拝んだとしている。

武田信玄は「出家して僧侶になった」のではなく「入道した」ので、「武田信玄などは出家した後も武田家の舵取りをしていたし女も欲望の赴くままに抱きまくっていました」という「批判」は当たりません。

入道した大名が、政務も取らず戦場にも出ず子供も作らない(戦国大名にとっては男の子も女の子も多いほど良い)のでは戦国大名家は潰れてしまいます。

今川義元やその弟、あるいは太原雪斎は、「出家」して仏門に入り、(タテマエ上は)戒律に服する本物の僧侶です。

一度出家して僧侶になった人が還俗することは普通ではありません。

実際、太原雪斎は還俗せずに最後まで僧侶として「今川義元の参謀長」として働いています。後世になりますが、関ヶ原の合戦に6万石の大名として千人ばかりの兵を率いて出陣した安国寺恵瓊は、「還俗して武士になり大名になった」のではなく、「僧侶がその身分のまま領地を与えられて大名になり、総大将は僧侶、それ以外はみな武士という軍団を率いて出陣したもの」です。恵瓊は合戦に敗れて捕らえられて処刑されるまで「僧侶」でした。

出家するのはそれなりの理由と動機があってのことですから。今川義元や足利義教、足利義昭が還俗して武士に戻り、守護職や将軍職についたのはめずらしいことです。

有力寺院やその塔中(大きな寺院に属する寺院)の住職に就くのが、僧侶としての能力よりもその僧の出身に依存するところが大きかったのだと思います。

延暦寺、興福寺、金剛峰寺のような大寺院は、広大な領土を持ち多数の人民を支配下(領民、奴婢)に置く大名と同然の社会的存在です。

僧侶は、一向宗(本願寺系)以外は公式には結婚して子供を作れませんから「世襲」はできませんが、大寺院の幹部僧侶は、皇族・公家・有力武家から僧侶になった人が概ね独占していたようです。

明治維新後の神仏分離にあたり、出家していた皇族は全員還俗させられ、新しい宮家となりました。