仏教のことば:「行水(ぎょうずい)」

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行水(ぎょうずい)

一般にはタライなどの湯で身体の汗を落とすことをいっているが、元来の意味は、水浴などで身体のけがれを除き、清浄にすることです。
水行。

行水ぎょうずいこれはお経の中から出た言葉です。
辞書でも”行水”と引くと、一番目の意味として「神仏に祈る前に、水を浴びて身を清めること」、二番目として「湯や水を入れたたらいに入って身体を洗うこと」と出ています。

この行水、は、お経の原点ともいえる阿含経あごんぎょうの中に出てきます。

阿含は音写で、意味は「伝えられた教え」とか「集大成した聖典」となります。
お釈迦様が話された記録そのもの、と思われる話を集めたものです。

阿含経は数あるお経の中で最初に作られたお経です。
大蔵経でも最初の方に収録されています。
また、たくさんのお経の総称なので、長阿含経じょうあごんぎょう、中阿含経、雑阿含経ぞうあごんぎょう、別訳雑阿含経、増一阿含経ぞういつあごんぎょうと呼ばれるものがあります。

基本的には22巻からなり、内容は4つに分類されます。

第1はお釈迦様について。

第2は教理について。

第3は修行とその結果について。

第4は宇宙について。

表題の行水の語は、長阿含経卷第二の中に出てきます。
この巻の内容はお釈迦様の最後の旅路と涅槃について書かれたところです。

時清信士即便施設手自斟酌。
食訖行水。
別取小敷在佛前坐。

訳すと「自ら手に水を汲み、食事を終えて行水する」となります。
サンスクリット語では「器から手を離す」になっていたそうで、それを中国語に翻訳した人が「食事の後に器や手を洗う」と訳したそうです。
この時点では、まだ行水は水浴びではなかったのです。

これが後に、お経を読む前に手や口をすすぐ事を行水と言うようになり、さらに神仏を祈る時に水で身体を洗い清める意味となり、お湯も使われるようになって一般に広がり、今日の意味になったようです。

江戸時代までは防火の為、風呂を沸かすことは少なく、行水が多かったようです。

夏、暑さをしのぎ、涼を取るために、たらいに湯や水をため、手桶で汲んで浴び 汗を流す行水は、江戸・明治・大正期まで風俗画などに残っており、俳句の世界では夏の季語です。

戦後の物のない時代を、水そのものをとても大切にした時代を生き抜いてこられた世代の方ならよくおわかりでしょう。
各家に風呂が無く 銭湯へ行くのが主流だったころの一般庶民の日常生活では、やはり行水が一番でした。

「行水」は仏教によって広まった言葉です。
古来、神道では祭事の前に穢(けが)れを払う禊(みそぎ)が行われていました。
仏教伝来後、法事を行う前に僧侶方が沐浴して心身を清める水浴を寺院内で頻繁に行なうようになり、それを平安時代には行水と呼んだそうです。
滝行もその中の一つです。

寺社にお参りする際に、手水舎で手を洗い、口をすすぐでしょう。
広い意味ではあれも行水といえるのです。