一期一会(いちごいちえ)
「一期一会」は茶道の言葉です。
「一期」は人が生まれてから死ぬまでの一生、一生涯。
「一会」とは一つの宗教的なつどい。
ともに仏教語ですが、「一期一会」という成句は仏典にはありませんが、仏教の精神を表しています。
千利休の弟子の山上宗二という茶人が、『茶湯者覚悟十体』という、茶道の心得を示した書を著しています。
その中に「そもそも、茶湯の交会は、一期一会といいて、たとえば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我一世一度の会なり」と記し、一生にたった一度の出会い主人も客も万事に心を配り、実意をもって交わりなさいと諭しています。
一期一会とは一期は仏教の言葉で、人間が生まれてから死ぬまでのことですから、一期一会とは、一生に一度だけ、生涯に一度限りという意味です。
「お客様とは一期一会」
「一期一会と思って臨む」
など、「人と人との出会いは一度限りの大切なもの」という意味で使われたり、「生涯に一回しかないと考えて専念する」という意味で使われています。
茶の道で知られる千利休(せんのりきゅう)の弟子、山上宗二(やまのうえそうじ)の本に「一期に一度の会」とあり、茶道でよく使われるようになりました。
「これから幾たびも茶会を開く機会があっても、この茶会と全く同じ茶会を二度と開くことはできない。だから、茶会は常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならない。」と茶道の心得を表した言葉として有名です。
仏教に説かれる諸行無常
仏教では「諸行無常(しょぎょうむじょう)」が教えられています。
「諸行無常」は、平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますので、皆さん聞かれたことがあると思います。
諸行無常とは、諸行とはすべてのもの、無常とは常がないということで、すべてのものは変わり続けるという意味です。
私たちは、いつ、どこで、何が起きるかわからない世界に生きていることを教えてくれています。
これを「火宅無常の世界(かたくむじょうのせかい)」と言います。
火宅とは、火のついた家ということで、不安を表します。
いつ何が起きるか、わからない不安な世界ということです。
何かの集まりが終わった後、また会いましょうと言って別れたとき、そのときはわからなかったけれども振り返ってみて、あれが最後の出会いだったのか、あれが最後の言葉だったのかと知らされることがあります。
あのとき最後の出会いとわかっていたなら、もっとこのようにしていた、あのようにしていたと思うことはないでしょうか。
仏教では「無常観」といって、無常の現実をありのままに観つめることを勧められます。
それは、いたずらに暗くなる為ではなく、今の出会い、今日の一日を大切にしましょうと今を大切にしている言葉なのです。
諸行無常の世の中、日常生活でも、一期一会の心をもって、ご縁を大切にしたいものです。