遺教(ゆいきょう)
釈迦が説きのこした教え。
仏法のことです。
大乗経典。梵本やチベット訳は現存しない。鳩摩羅什(くまらじゅう)訳。1巻。釈迦が涅槃に入る前に最後の教えを垂れたことを内容とし、戒を守って五欲をつつしみ、定(じょう)を修して悟りの智慧を得ることを説く。中国・日本で普及し、特に禅門で重視される。仏垂般涅槃略説教誡経。仏遺教経。
出典 小学館
正しくは、
『仏垂般涅槃略説教誡経』(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)と言います。
略して『遺教経』や『遺経』とも言います。
「仏遺教経」は、その名の示すとおり、釈尊が八十年のご生涯を終えられるにあたって、さいごに示された、いわば遺言とも言うべき教典なのです。
「お釈迦さまが入滅(般涅槃はつねはん)にあたって)、その教誡を簡略に説かれたお経」という意味になります。
涅槃とは、いっさいの煩悩が吹き消された静寂な状態をいい、業報(ごっぽう)の残余として肉体が存在する〈有余涅槃〉と、円寂なる完全涅槃〈無余涅槃、般涅槃〉があるとされております。
釈尊のご入滅が近いことを伝え聞いたお弟子達は、急遽クシナガラの釈尊のもとへ向いました。
釈尊はすでに沙羅双樹の下に北枕に右わきを下にして、西に向かって静かに横になられておりました。
入滅を目前に、集まった多くの弟子達に、「これがわたしのさいごの説法だぞ」と諄々と法をお説きはじめられたのです。
この時、紀元前四百八十六年二月十五日、満月の夜のことでした。
およそ今から二千五百年前、日本の歴史に当てはめてみるとなんと縄文時代です。
そんな大昔にインドに出世された一人の沙門の説かれた教えがはるか時代を越え広くアジアから日本のみならず世界宗教となって今なお多くの人々の心の支えになっているのです。
それは釈尊が宇宙の真理をさとり、その道理に適った生き方こそ幸福への道だったからです。
その仏法は、あらゆる存在は一切皆空であるが故に無常で無我であるという厳然たる事実から出発しています。
そして、人が避けて通れない四苦八苦の現実も八正道の実践によって必ずや安楽への道に通じていると説かれているのです。
釈尊は49年間におよぶ伝導布教の中で五千四十余巻の経と八万四千の法門を説かれましたが、その悲願は惟ひとつ人類の〝幸福〝に他ならないのです。
そしてその最後の結論がこの「遺教経」に集約されていると言えるのです。
まさに釈尊が人類のために遺されたさいごの教誡です。
釈迦の遺言ともいうべきこの経を出来るだけ忠実に読みながら、自分の心のありようを見つめ直し、日々いかに過ごしていくべきかを考えてみるのもいいかもしれません。