仏教のことば:「荼毘(だび)」

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荼毘(だび)

死者の死体を焼いて骨を葬ることです。
檀那・旦那(だんな)
人に物を施したり法を施すことです。
真心をもって布施する人。

火葬のこと。火葬のために死体を焼くことをパーリ語でジャーペーティ,サンスクリットでディヤーパヤティ(いずれも三人称単数形)というが,〈荼毘〉とはこのような言葉の音写と考えられている。
インドでは古くから四葬(水葬,火葬,土葬,風葬)の風習があったが,その中でも火葬が最も重んじられ,正葬とされていた。
釈尊の遺骸も,転輪聖王(てんりんじようおう)の葬法にならって荼毘に付されたと伝えられる。出典 株式会社平凡社

「荼毘(だび)」という単語を使うことはなくても、「荼毘(だび)に伏す」という表現は日本では多用されています。
それは「荼毘(だび)」が「火葬する」という意味だからです。

日本で火葬が行わるようになったのは、約1300年前といわれています。
それまでは亡骸は遺棄・風葬・土葬にされていました。
火葬はアーリヤ人の風習で、仏教が伝来したタイミングで伝わったのだそうです。

アーリヤ人の母国である古代インドで火葬が多かったのは、遺骸を焼いて煙となって天に昇ることで成仏できると考えられていたからです。

火葬は他の方法に比べて、
●短時間で浄化できる。
●灰にすることで保存や移動をしやすくする。
●形が変わることで呪術的な危険から遺体を守ることが出来る。

いろいろな面で効果的として、青銅器時代から世界各地で行われていたようです。

バラモン教やヒンドゥー教では、死者の霊は煙とともに天に登る、という考え方があり、インドでは古くから火葬が一般的に行われてきたようです。
特に高貴な人は火葬、と決まっていたようで、お釈迦様も火葬にされました。
これにならって、仏教では火葬が一般的になりました。

中国でも、古くから火葬がありましたが、儒教の影響で火葬は遺体を傷つける行為、との考え方か強く、仏教が伝わってからも僧侶の世界で行われる程度で、あまり広まりませんでした。

日本では、700年に道昭どうしょうという法相宗の僧侶が、遺言によって火葬されたのが初めて、と言われています。
しかし遺跡では、それ以前に火葬が行われた痕跡が見つかっています。

天皇では、持統上皇が702年に初めて火葬されました。
日本では仏教の伝来とともに、火葬は広まっていきます。

平安時代になると各地に火葬場ができたりして、庶民のあいだでも、少しずつ火葬が行われるようになります。
江戸時代の中頃になるとかなり一般化し、近年では火葬中心となります。

また平安時代の中頃からは、焼骨(火葬した遺骨)の分骨も行われるようになります。
お寺の領域内に、五輪塔などに納めて祀ることも行われ、現在の寺院墓地のはじまりとも言えます。

お釈迦様の荼毘は

クシナガラの郊外で、マッラ族の人々によって行われました。
まず、遺体を新しい布と綿で何重にも包み、金属の棺に納めて麻油を注ぎ、いろいろな香木を薪として積んだ上に置いて火葬を行った、とされています。

当時のインドでは火葬に対する考え方は、身を清める意味が強く、今の日本のように拾骨目的ではなかった、と言われています。

形が無くなり灰になるまで焼くのが一般的なようですが、分骨した話や、お舎利さんと呼ばれるものが残っているので、有る程度で終えたようです。

「荼毘(だび)」の類義語は「火葬」が基本ですが「遺体焼却」と表現されることもあります。
ちなみに「荼毘(だび)に伏す」という表現の類義語では、「火葬する」「灰にする」「骨にする」があげられます。

人前で「火葬する」という言い方をするのはダイレクトすぎるという配慮から、「荼毘(だび)に伏す」と言い換える人が多いと考えられます。