仏陀(ブッダ)の精神はしだいに忘れられ、袈裟は仰々しくなり、「大袈裟」のことばが生まれてきました。
仏陀(ブッダ)が城を出て森に入って剃髪した際、彼は釈迦族の王子として身につけていた立派な衣服を、猟師の粗末な服と交換したという伝説が残っています。
つまりは、汚れた服です。
この、汚れたという形容詞がサンスクリット語の「カシャーヤ」。
これには、赤、赤褐色、暗赤色、つまり汚い雑色という意味もあったようです。
これが後に、僧侶が身につける衣服「袈裟」を表すことばとなりました。
「袈裟」(けさ)というのは、インド・サンスクリット語の「カシャーヤ」が中国に伝わり「袈裟」と音訳されたものです。
仏陀(ブッダ)を慕う出家修行者たちは、そうした質素の精神を尊び、死人を包んで墓場に捨てたボロ布などを拾ってきて洗濯し、継ぎ合わせて用いたといいます。
現在の袈裟も、方形の布を縫い合わせて作られているが、これはボロ布を継ぎ合わせた名残です。
ところがこの質素な衣服も、自然環境の異なる中国、日本に仏教が伝わるにつれ、大きく変わっていきました。
インドと異なり、寒さも厳しい。
そこで下衣を用いるようになり(「衣」)、その上に着て肩からかけるのが袈裟とされるようになったようです。
それがやがて、修行用の衣服から儀式用の衣服になり、現在のように豪華なものへと変わってきました。
大きくて豪華な袈裟は人々に仰々しい感じを与えたところから、誇大なとか、規模が大きいということを「大袈裟な」と形容するようになりました。
東南アジア諸国では、今でも黄色みを帯びた褐色の衣服を左肩から右脇下にかけて着用していますが、これが本来の袈裟です。
しかし、仏陀(ブッダ)の精神はしだいに忘れられ、袈裟は仰々しくなり、「大袈裟」のことばが生まれてきました。
現代の日本の僧侶たちの、あの金ピカの袈裟を見ると、仏陀(ブッダ)はどんな感想をもらすでしょうか。
袈裟の、一方の肩から斜めにかけて着る様子を表すことばが「袈裟懸け」といいます。
そこから「袈裟斬り」の表現が生まれました。
この仏陀の教えのサイトもちょっと大袈裟な感じですね。