有り難いとは、「あることが稀れだ」と
「ありがとう」は感謝する意味ですが、
その語源は「有り難し(ありがたし)」といいます。
原典は法句経というお経に
『人の生を享くるは難く やがて死すべきもの 今いのちあるは 有り難し』
とあるように、今生きている私達は、数え切れない偶然と無数の先祖の計らいで生を受けて誕生したのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きましょう。
と言う教えから生まれた言葉です。
やがてそれが、当たり前の事を当たり前と思わず、当たり前と思える事にでも感謝の気持ちを表す言葉として『有り難し(ありがとう)』になったようです。
仏教では、人間に生まれたことは大変有り難いことだから喜ばねばならないことだと教えられています。
『雑阿含経』の中には、有名な盲亀浮木の譬喩が説かれています。
ある時、仏陀(ブッダ)が
「たとえば、大海の底に1匹の盲亀がいて、100年に1度、海上に浮かび上がるのだ。その海には、1本の浮木が流れていて、木の真ん中に1つの穴がある。
盲亀が100年に1度浮かび上がった際に、ちょうど、その浮木の穴へ頭を突っ込むことがあるだろうか。」
と尋ねられました。
阿難尊者(アーナンダ)という弟子が
「そんなことは、毛頭考えられません」
と答えると、
仏陀(ブッダ)は
「誰でも、そんなことはありえないと思うだろう。
しかし絶対ないとは言い切れないであろう。
人間に生まれるということは、今の喩えよりもありえない有り難いことなのだよ。」
といわれました。
私たちは日常、有り難いと言いますが、「あることが稀れだ」ということから出た言葉なのです。
『涅槃経』には、
(原文)
「地獄に堕ちるものは、十方世界の土の如く、人間に生れるものは、爪の上の土の如し」
(わかりやすく)
「地獄に堕ちる者は、大宇宙の砂の数ほど多いが、人間に生まれるものは、爪の上の砂のように少ない」
と説かれています。
このような受け難い人身を受けたということは、人間に生まれなければできない大事な目的があるということです。
私たちはその重大な使命を果たすために人間に生まれきたのです。
人間に生まれたよろこびを「有り難い」と思います。
難有って有り難い―生きるとは〈3〉 [単行本]
大塚 日正 (著)
人生は、良いことや楽しいことばかりではなく、悪いことや苦しいことのほうが多いのではないか。ただ苦しいからといって、それを否定し、排除するだけでは解決になりません。私たちにとって、相反するものと考えがちのものでも、受け止め方ひとつで、それらを活かし、善用することは出来るのです。難も苦しみも不幸な出来事も、心の持ちようひとつで己を強く逞しく育ててくれる糧となります。
というものですが、東日本大震災後にこの本を読みましたが、難あって有り難いと考えるのがつらくなりましたが、それでも自分にできることはないのかなと思う日々です。