仏教のことば:「因縁(いんねん)」

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因縁(いんねん)

ある結果を生む直接の原因が因で、その因から結果に至らしめる間接の原因が縁。
あらゆるものは縁で生ずると仏教は説く。

「因縁」とは、もともと仏教の言葉ですが、世間では「関係」という意味で使われています。

「因縁の対決」であれば、過去に何らかの関係があった2人の対決です。
例えば、過去に一度対決したことがあり、負けたほうが「雪辱を晴らしたい」と思っていた対決だったり、親を倒された子供が、敵討ちに挑む戦いだったりします。
何の関係もない2人は、因縁の対決にはなりません。

「因縁をつける」というのは、逆に、もともと何の関係もないのに、「今にらんでいただろう」などと無理に関係をつけて、からんでくることを言います。

世間では、このような関係のことを因縁というのですが、仏教ではもっと詳しく説いています。

仏教では「すべての結果には、必ず原因がある」と教えられています。
これを「因果の道理」といい、仏教の根幹です。

ブッダは、因果の道理にしたがって仏のさとりを開かれ、人生に起きる、数え切れないほどの現象は、すべて原因があって起きたものだと、このように説かれています。

「一切法」とは、すべてのもののことです。
「因縁」とは原因のことですから、すべてのものは原因があって生じたのだ、
ということです。

「因縁」は一つの意味で使うときは、「因」=「縁」で、どちらも原因ということですが、その原因を2つに分けると、
「因」と「縁」は違う意味になります。

因縁を因と縁に分けた場合、
「因」は原因ということで、直接的な原因です。
「縁」は助縁ということで、間接的な要因で、因が結果になるのを助けるものです。

間接的な環境要因や条件を、「縁」といいます。

結果は、因だけでも起きませんし、縁だけでも起きません。
因と縁がそろってはじめて結果が現れます。

結果が起きたということは、因も縁もそろったということですから、必ず何かの因が、自分にあるのです。

生まれつきや環境によって運命が決まっているのではありません。
縁をうらまず、自分の行いを変える心がけが、幸せを生みだして行くのです。