仏教のことば:「遊行(ゆぎょう)」

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遊行(ゆぎょう)

僧が修行のために諸国を歩き回って伝道することです。

少欲知足を旨とし、托鉢による施物を糧として解脱を目指すことにその目的があります。


仏道修行者が布教教化と自己修養のため諸方を遍歴すること。なかでも,拠点寺院を定めず,生涯を通じて遍歴した聖(ひじり)を遊行者といった。奈良時代の行基(ぎょうき)の聖集団,平安時代の空也(くうや)系聖など。鎌倉中期,踊り念仏と賦算の一生を送った一遍(いっぺん)は遊行聖の典型で,〈遊行上人〉と呼ばれ,のち彼の開いた時宗(じしゅう)の指導者を〈遊行上人〉と呼称した。出典 株式会社平凡社

仏教に「遊行僧」なる言葉があります。
自戒や懺悔など自分の内側に向いた厳しさを連想させる「修行僧」と似て非なる響きのこの言葉。
「遊行僧」は、外へ外へとひたすら移動し、動く事によって、様々な困難を克服する為の知恵を身につけ、実践して行きます。
いわゆる現代の僧侶とは違い、諸国を流浪し、医術、薬術、戦術、治水・灌漑術などに長けた存在としての僧侶たちは庶民から尊敬され、様々な場面で求められることも多かったようです。
故に嵌れば確実に自らを成長させるというのが「遊行」の醍醐味であると思われます。

遊行とは、諸国を巡って仏教を広めていく僧侶の修行ことです。とりわけ、空也上人から一遍上人まで、浄土教の僧侶たちが諸国を巡って阿弥陀様の救いについて説いていたことが知られています。

鎌倉時代の浄土教を代表する僧侶のなかに、時宗(じしゅう)の開祖となった一遍(1239-1289)がいます。彼は出家後、一切の執着を捨てるために、特定の寺院には住まず、遊行聖(ゆぎょうひじり)として念仏を称えながら日本全国を歩き回りました。死に臨(のぞ)んだとき「一代聖教(しょうぎょう)みなつきて、南無阿弥陀仏になりはてぬ」と述べ、自分の一生は南無阿弥陀仏に帰結するとして、所持していた書物をすべて焼き捨てました。

一遍は、すべての生きとし生けるものは遠い昔から地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の六道のなかに繰り返し生まれ死んできたと述べています。この迷いの世界にいるかぎり、生・老・病・死の苦しみからのがれることはできないのです。
そして、いくら多くの財宝や権力を持ち、多くの人々に囲まれて生活してきたとしても、死が訪れると、人は絶対的な孤独におちいります。

人はこのような絶対的孤独に直面して初めて救いの道を見い出すことができると一遍は考えます。人はだれでも自分の死を思うとき、本当に大切なものは何かと問わなければなりません。この問いに直面して初めて迷いを超えた真実の世界(阿弥陀仏の浄土)に目を向けることができます。そしてこの世界に触れたとき、一切の執着から解き放たれ、本当の自由を獲得することができるのです。

一遍は、この道理に目覚めたとき「身命財(しんみょうざい)も惜しからず、妄境既にふりすてて、独りある身となりはてぬ」と語っています。ここでいう「独りある身」とは死の恐怖におびえる孤独の人間を示すものではありません。それはすべての執着から解放された自由人を示すものです。

一遍によると人間の苦の根源は、無常なるものに執着することにあります。ですから、苦から解放されるためには、一切の執着を捨てきらなくてはなりません。先に述べたように、一遍は出家以降、一定の場所に住むこともなく、遊行聖として日本中を旅して歩き回りましたが、このような生き方は、一遍にとって一切の執着を捨てる実践行に他ならなかったのです。

一遍は空也や教信、法然の活動に影響を受け、門弟を「時衆」として引き連れ、全国各地で賦算と踊り念仏を中心とした、平易で実践的な民衆教化に努めました。

宗教者は布教をしてこそ宗教者だと思います。

もちろん、仏教の僧侶も同じです。
自分のお寺の檀家の人々だけを大切にしていくのも、一つの「布教」の形です。

僧侶はあらゆる機会をとらえて「説教」や「法話」をしていくのが勤めだと思います。