仏教のことば:「弥勒(みろく)」

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弥勒(みろく)

釈迦入滅後、五十六億七千万年後の無仏の世界に出現するという菩薩。

「弥勒」(みろく)とは、「慈しみ」という意味の梵語を音写して漢字にあてはめた仏教の言葉です。梵語とは、サンスクリット語ともいい、インドなどで用いられた古代語です。

「弥勒」という時の多くは「弥勒菩薩」(みろくぼさつ)のことを指します。弥勒菩薩は菩薩の中で最高位とされる菩薩です。「菩薩」とは、仏を目指す人という意味で、修行をして悟りを得ると仏となります。釈迦(ブッダ)も修行をしている時は菩薩でしたが、悟りを得て仏陀(ブッダ)となったのです。

菩薩は目的の違いからさまざまな菩薩がいますが、「弥勒菩薩」は釈迦が亡くなって56億7000万年後に登場し、悟りを開いて仏になり、多くの人を救済するといわれています。「慈悲の菩薩」という意味があります。

弥勒菩薩といえば、京都の広隆寺の弥勒菩薩像(木像)は特によく知られていて、国宝に指定されています。

弥勒菩薩とは、あと一段で仏のさとりという等覚(とうかく)のさとりを得ている菩薩のことです。
菩薩とは、仏のさとりを得ようと努力している人です。

一口にさとりと言いましても、低いさとりから高いさとりまで、全部で52の位があり、これをさとりの52位といわれます。

その52ある中の最高のさとりを「仏覚(仏のさとり)」と言い、またはこれより上が無いので「無上覚(むじょうかく)」とも言います。

「等覚(とうかく)」とは51段目のさとりをいいます。あと一段で仏ですから、ものすごい位です。

さとりを得るのは簡単なことではありません。
面壁(めんぺき)九年と言われ、壁に向かって九年間座禅し続け、ついには手足が腐ってしまった達磨大師(だるまだいし)もさとりの52位の中の30段そこそこであったといわれます。

「頭のよいことにかけては、この人の右に出る者はない」と、親鸞聖人がおっしゃる中国の天台(てんだい)も、臨終に弟子から「師はどれほどさとられましたか」と聞かれ、「9段目までであった」と告白しています。

51段までさとった弥勒菩薩が、いかに優れた菩薩か、お分かりになると思います。
今日も、弥勒信仰といって、弥勒に助けてもらおうと朝晩手を合わせ、給仕している人も少なくありません。

その弥勒菩薩が、あと一段上って仏のさとりを開くまでには56億7000万年かかると、お釈迦さまはいろいろなお経に説かれています。

弥勒菩薩は大変優れた菩薩として有名で、世間には「弥勒様に助けてもらおう」と、手を合わせている“弥勒信仰”も少なくありません。

ところが、その弥勒菩薩でさえ、あと一段のぼって「仏覚」を開くまでには56億7000万年かかると、お釈迦様が説かれていることを「龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし」と言われています。

「龍華三会の暁(りゅうげさんえのあかつき)」とは、56億7000万年後のこと。
「無上覚位(むじょうかくい)」とは、仏覚のことです。
菩薩の最高位である弥勒菩薩でも仏覚を開くまでには、気の遠くなる長期間かかることを示されています。

『仏説無量寿経』(ぶっせつむりょうじゅきょう)という仏教経典に「弥勒」が登場します。
『仏説無量寿経』とは、「釈迦が説いた『無量寿経』」という意味で、釈迦の説法が書かれています。
『仏説無量寿経』は『仏説観無量寿仏経』『阿弥陀教』の3書をあわせて「浄土三部経」と呼ばれ、浄土教の根本経典とされています。
これらの経典はサンスクリット語で書かれています。

「無量寿」とは「阿弥陀仏」のことをいい、「阿弥陀仏」とは浄土教における最も優れた仏のことです。
『仏説無量寿経』の中で、釈迦は弥勒菩薩に対して、「阿弥陀仏の名を聞いて、一度でもその名を唱えれば功徳を差し上げることができ、必ず極楽に往生できる」といい、その「阿弥陀仏の本願」を後世の人々に説き聞かせるようにと説いています。

「弥勒信仰」とは、弥勒菩薩に対する救世主信仰のことです。弥勒信仰では、釈迦入滅から56億7000万年後に弥勒菩薩が登場し、人々を救済すると信じられています。

弥勒信仰は古代インドに成立し、中国、朝鮮、東南アジアや日本において受容されました。
日本に伝わったのは6世紀です。
特に平安時代に末法思想が流行すると、人々の不安が高まり、弥勒信仰が盛んになりました。
人々は厳しい現世からの救いを求め、浄土に往生したい、弥勒が出現する未来の世に生まれ変わりたいと願ったのです。