仏教のことば:「涅槃(ねはん)」

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涅槃(ねはん)

梵語ニルバーナ、俗語ニバンの音写。
火を吹き消すごとく、迷いがふっと消えてなくなる状態。
完全なる悟りを開くことです。
釈迦の入滅のことです。
火が吹き消された状態なので煩悩が滅した究極的な悟りの境地。


仏教では究極的目標である永遠の平和,最高の喜び,安楽の世界を意味する。本来は風が炎を吹消すことを意味し,自己中心的な欲望である煩悩や執着の炎を滅した状態をさす。このような状態は「涅槃寂静」と呼ばれて初期仏教の根本的教えの一つであったが,人が生命または肉体をもつかぎり完全な涅槃の状態は達成されないとして,これを「有余 (依) 涅槃」とし,死後に実現される完全な状態を「無余 (依) 涅槃」と呼び,釈尊の死を涅槃に入るというようになった。またジャイナ教では仏教と同様に永遠の安楽な世界,ベーダーンタ哲学ではブラフマンとの合一を意味する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

涅槃は「ねはん」と読みます。

涅槃という言葉はインドでお釈迦様が生きていた時代に使われていたサンスクリット語の「ニルヴァーナ」(もしくはパーリ語の「ニッバーナ」)という言葉の音を漢字に直したものです。

難しい漢字を使っていますが、涅槃という漢字自体には意味はありません。

涅槃とは仏教の目指す苦しまない世界を意味する言葉です。

「涅槃」は、「有余涅槃(うよねはん)」と「無余涅槃(むよねはん)」の2つがあるとされています。

「余」とは、残余のことで、肉体のことです。
お釈迦さまは、35歳で仏のさとりを開かれましたが、そのときは肉体がありますので、食べ物も必要ですし、病気にもなりますから、肉体の束縛を受けます。
まだ完全とは言えず「有余涅槃」といいます。

ところが、仏のさとりを開かれたお釈迦さまが、80歳でお亡くなりになりますと、肉体はなくなって、「無余涅槃」となります。これが完全な涅槃です。

仏のさとりを開かれた方は、地球上ではお釈迦さまただお一人ですから、お釈迦さまがお亡くなりになることを「涅槃の雲に隠れられる」ともいわれます。

この「無余涅槃」のことを「完全な涅槃」ということで、「般涅槃(はつねはん)」ともいわれます。
「般」というのは完全ということです。

涅槃とは、全ての煩悩の火が消滅した、安らぎの境地のことをさします。人間が持っている本能から起こる、心の迷いがなくなった状態のことをいいます。

涅槃は、釈迦が悟りの境地に達して死んだことから、迷いで燃え盛る火が消え、悟りに入った境地という意味になったといいます。

涅槃は釈迦の死を表す言葉でもあります。陰暦の2月15日が釈迦入滅の日とされています。沙羅双樹のもとで涅槃に入る様子は、涅槃経に記されていて、涅槃経に基づいて描かれた釈迦涅槃図も残っています。

釈迦涅槃図では、頭を北に向け、右わきを下にして横たわる釈迦が描かれています。故人を北枕で寝かせるのは、釈迦の涅槃入りからきたものとも言われています。

日本だけでなく中国でも、釈迦の涅槃入りの陰暦2月15日には、寺院で涅槃会と言われる法会が行われます。

涅槃の意味は仏教の最終目標であり、「苦しみのない世界」です。

これはわかりやすく表現したもので、本来の涅槃(ニルヴァーナ)の意味を仏教文化研究の第一人者の中村元の本では次のように紹介しています。

「動揺をしずめる」「しずかに落ち着かせる」という意味の用例があるが、普通は、「[炎が]消えて滅びたこと」、あるいは「[炎が]消えてなくなった状態」を意味すると考えられている。(中略)

ニルヴァーナとは、本来的に灯火の消え失せることであると考えていた。

出典:原始仏教の思想I 中村元選集 中村元 春秋社

涅槃と言う状態は、燃え盛る火が消えた後の、静寂でイメージできるものです。

この燃え盛る火と言うのは、苦しみの元凶である私たちの欲望の炎(煩悩と言います)のことを意味します。

つまり、仏教ではこの煩悩を消すことで、涅槃という苦しみのない安らかな世界に到達できるのです。