ジャータカ物語の一つ「豚のご馳走の話(Upahanajataka)(No.231)」は、過去世におけるデーヴァダッタ(デーヴァダッタ)と釈迦(菩薩)の因縁について、デーヴァダッタの傲慢さと裏切りの性向が前世から一貫していたことを明らかにしています。
この物語は、デーヴァダッタが仏陀に背き、敵対した行為が、彼が前世において師(菩薩)に対して行った行動と繰り返されていることを示しています。
過去世の因縁が明らかになる点
この物語では、デーヴァダッタは菩薩(釈迦の前世)の弟子として登場し、彼が持つ「能力に対する誤った価値観」と「師への背信行為」が浮き彫りにされています。
- 師(菩薩)からの完全な知識の伝授
- 過去世において菩薩は、象の調教師の家に生まれ、成人して象使いの技法の奥義に達しました。
- デーヴァダッタの過去世の青年は、カーシ村からやって来て菩薩のもとでこの技法を学びました。
- 菩薩は「教え借しむることをせず」、自分の知っていることをあますところなく弟子(デーヴァダッタの過去世)に教えました。
- 能力に対する傲慢な要求
- 弟子は、師と同じ技術を習得したことを理由に、師と全く同じ額の給料を王に要求しました。
- 王は、弟子が師と同じ技術を示すことができれば、同じ給料を支払うと約束しましたが、弟子はこれを受け入れました。
- このエピソードは、人格が出来ていない人の学識や能力は、人類のためにならないこと、また、彼が「同じ能力に同じ給料を払え」と要求したことは、道徳的な生き方に価値を置かず、「金さえあれば全てOK」という現代にも通じる誤った思考にあることを示唆しています。
- 師への背信と破滅の繰り返し
- この物語でデーヴァダッタが過去世で師(菩薩)に背いたように、仏陀の時代にもデーヴァダッタは師(釈迦)に背き、如来の敵となり、大破滅に陥ったと述べられています。
- この物語は、人格者でない者が天才的な能力を持つことは、かえって大変危険な存在になるという教訓を明確にしています。
教訓:道徳の欠如がもたらす危険性
このジャータカ物語が明らかにする因縁の核心は、能力や学識があっても、道徳(人格)が伴わなければ、その能力は汚染され、使い物にならないという点です。
- 師(菩迦)は、弟子が同じ技術を身につけたとしても、その能力を活かすために必要な道徳を学ばなかったために、同じ給料を要求するという誤った価値観を持ったとされています。
- 現代社会においても、知識や技術が発展しても平和にならないのは、人類が財産よりも、知識や能力よりも、道徳的な生き方に価値があることを忘れているからだと、このエピソードは諭しています。
「豚のご馳走の話(Upahanajataka)」は、デーヴァダッタが単に仏陀の敵であっただけでなく、彼が持つ自己中心的な動機と、道徳を軽視する傾向が、輪廻転生を通じて変わらず、結果として常に自ら破滅を招いてきたことを明らかにしているのです。

