仏教のことば:「後生(ごしょう)」

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後生(ごしょう)

後の世、つまり来世に生まれ変わることです。

1 仏語。
死後に生まれ変わること。また、死後の世。来世。あの世。→今生(こんじょう) →前生(ぜんしょう)
死後極楽に生まれること。来世の安楽。極楽往生。「後生を願う」

2 他に哀願するときに用いる語。お願い。「後生だから助けてください」

出典 小学館デジタル大辞泉について

「後生だから・・・」は懇願の切実さを強調する言葉として、「許してください」あるいは「見逃してください」と続くかたちで使われるように思います。
でも、懇願といっても「後生だから、恋人になってください」という使い方は間違っているように聞こえます。

そもそも、「後生(ごしょう)」とは何でしょうか。

後生とは来世のことです。
仏教の輪廻転生を前提として、一度死んでまた生まれ変わった人生が「後生」です(転生して人間になるとは限らないというのがすばらしいアイデアですよね)。
しかし、なぜそれで「後生だから許してくれ」といった使い方が成立するのでしょうか?
「後生だから・・」と同じように懇願の際に使われる言葉に「一生のお願い」というのがあります。
「一生のお願いだから、これ買って!」って聞きますよね。
「一生のお願い」とか言っても、「こないだも一生のお願いって言ったじゃない」というのがよくあるパターンです。
実は「後生だから・・」とはこれと同じなんです。
もういまの一生ではお願いしきれないから、後生の分を前借りでお願いしますというわけです。

「後生大事」と「後生=極楽往生」という考え方があるようです。
要するに、後生のために今生(こんじょう:今の人生)で徳を積みなさいという教えです。
いいことしとけば極楽に行けるし、来世は幸福というわけです。

「後生だから・・・」というのは「後生だと思って・・・」という使い方にも変化して、「徳を積むと思って、哀れな私のお願いを聞いてくださいよ」という調子のいいお願いの仕方ということになります。

「ごしょう」は仏教用語。

これが本来の読み方のようです。
前世を「前生(ぜんしょう)」、現世を「今生(こんじょう)」と言い、
存在していた世のことを表す言葉です。

よって、「後生(ごしょう)」という読み方であれば「後生大事」など、
「死後の世界を大事にする。または死後まで大事にする。」という意味で使われます。

「後生一生のお願いだ」というのは、
「現世も来世も合わせて一度だけのお願いだ」となります。
今ではほとんど「一生のお願いだ」と言っていると思います。
来世を信じるか信じないかで分かれるところです。

次に「後生(こうせい)」の場合。
「生まれが後」という意味になり、自分より後から生まれてくる人を意味します。
後から生まれただけでなく、「後から育つ人」という意味もあり、後輩なども意味します。

「後生に伝える」という使い方であれば、
「後から生まれてくる人に伝える」という意味になります。
死後に伝えるというのはおかしいので、読み方は「こうせい」とすぐわかります。

ただ、なぜ「こうせい」となり意味が違うようになったのかは不明です。
漢字だけ見ると「後から生まれる」と思ってしまうので、
その意味で使う人が増えて一般的になったのかもしれません。

どちらの意味でも使われるため、意味を間違えないよう注意しましょう。