もったいない

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勿体(もったい) ない

昔の食卓では、子どもがご飯をこぼしたりお菜を食べ残したりすると、親から「もったいない」といって叱られ、一粒のお米でも拾わされたりしたものですね。
幼いころ、ご飯粒をお茶碗に残しては「もったいない、お百姓さんに悪いでしょう」と、親に叱られたもので、一粒のお米でも拾わされたりしたものですね。
今は、そういう古めかしい「しつけ」はあまりみかけなくなりましたね。
3つ子の魂100までというが、今でもご飯を残す際はとりわけ心が痛みますよね。
「もったいない」という言葉がどこからか響いてくるようですね。

「もったいない」という言葉は、使える物を粗末にしたり生きる好機をみすみす失ったりする時に、よく使われています。
つまり尊い「もったい」を「なくする」意味ですね。

「もったい」というのは、世の中の事々物々すべては、みな互いにもちつもたれつの関係でこそあれ、それ自身単独でわが本体とすべき存在ではない、という仏教の基本的な考えを示すもので、「体なし」すなわち「勿体」という漢字をあてるのですね。

逆にいえば「勿体」は事物のすべてが互いに多くの縁でつながっている状態を示し、「勿体ない」はその一端をつぶし汚す結果を招くところから出たわけですね。

いわば「おかげ」を無視して万物のいのちを無駄にする心が「もったいない」に通じるのですね。
ちなみに普段何気なく使っている「おかげさま」や「いただきます」も仏教用語ですね。
「おかげさま」は他の誰かによって生かされていることに感謝すること。
「いただきます」は命をもらって生かされていることに感謝すること。
どれも一人だけで生きているのではなく、多くの縁によって生かされているという考えに基づいています。

世界の環境スローガン「MOTTAINAI」
古くから日本人の精神として息づいてきた「もったいない」は、いまや世界の環境スローガンとなっています。
2005年にケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイ氏が来日した際に、この言葉の意味を知り、世界に広めようと呼びかけました。
ワンガリ・マータイ氏はアフリカの砂漠化をくい止めようと植林活動「グリーンベルト運動」を実施しています。
長年の環境に対する貢献が評価され、2004年にはノーベル平和賞を受賞した人物ですね。
マータイ氏は、リデュース、リユース、リサイクルの3Rをたった一言で表している「もったいない」に感銘を受けたといいます。
彼女は「MOTTAINAI」をスローガンに掲げ、環境に負荷をかけない生き方を進めるべきだと世界に訴えています。

「もったいない」はたんに使い惜しむのではなく、そのモノの持つ本来の価値や役割を見極め、それを無駄にすることなく、生かしていくための言葉ですね。
モノが溢れ、つぎつぎと捨てられていく今日にあって、あらためてその心を取り戻す必要があるのかもしれない。
ご飯粒を残したら「もったいない」と戒める、そんな教えが今、私たちに必要なのでしょうね。