阿僧祗(あそうぎ)
梵語アサンキヤの音写。
阿僧企耶とも。
数の単位。
無数、無央数、不可数量。
十の五十九乗。
阿僧祗劫といえば無数の劫の意味です。
劫が無数の意無数の無数倍でとても数えきれない。
数えられないとの意から,無量または無数を意味します。
「この十方世界(大宇宙)には恒河沙(ごうがしゃ)の数の世界がある。」
と釈迦は説かれています。
『恒河沙(ごうがしゃ)』とはお経によく出てくる言葉ですが、今日はまず使われることはないかと思います。
これは数の単位を表わす言葉です。
万、億、兆、京、垓と続く数の単位を
さらにずっと進めていきますと
恒河沙(ごうがしゃ)、
阿僧祇(あそうぎ)、
那由他(なゆた)と出てきて、
さらに不可思議、無量大数と続きます。
那由他は10の60乗、
阿僧祇は10の56乗
恒河沙は10の52乗です。
阿僧祇は10の56乗ですが、多すぎて想像できませんね。
なにしろ10の右横に0が56続くのですから。
「寿命無量 阿僧祇劫 (じゅみょうむりょう あそうぎこう)」
「百千万劫(ひゃくせんまんこう)」と、この「劫(こう)」とは、仏教用語・インド哲学用語でサンスクリット語の「カルパ」の音訳「劫波(劫簸)こうは」を省略したもので、永久に近いほど長い時間のことです。
お経とは、その「劫」を数えられないぐらい数えても『仏の教え』を聞けないが、この経典のおかげでそれを聞くことができるとてもありがたいものです。
落語の「寿限無」(めでたい言葉をつないで子供の名前にした話)の話に出てくる「五劫の擦り切れ」の「劫」(ごう・こう)がこれです。
三年に一度(百年に一度の説もある)天より天女が降りてきて一辺四十里(約160Km)の岩を、天女の羽衣で擦り、その岩が消えて無くなるまでの時間(約40億年)を「一劫」というそうです。
五劫ですのでその5倍(200億年)というとてつもなく長い年月「長命でとてめめでたい事」を意味しているそうです。