舎利弗尊者(サーリプッタ)
智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)
仏陀(ブッダ)の弟子1250人の中「智恵第一」と讃えられ、目連と双璧を成す十大弟子の中でも経典中も数多く出てきます。
舎利弗はバラモン階級の子として将来を嘱望されつつ生まれました。
彼は周囲が期待した通り、幼い頃から驚異的な頭脳を発揮し、8歳にして神童の誉れを恣にしていたそうです。
幼名をウパティッサといいます。
舎利の子であるというところから舎利弗と名付けられたものと見えます。
舎利は母の名、弗の字は子という字になります。
父は底沙という婆羅門の大学者でした。
彼は天性特に秀でて弁才多智の人でした。
出家の身となり婆沙門教師の弟子となり、すべての羅漢の中での第一の智慧者でした。
尊者舎利弗は、一切の智慧宝を成就し知徳を備え常によく教え、よく大法を讃歎し大衆を導かれしも、後、病に伏し涅槃に入り仏陀(ブッダ)は舎利弗のために一塔を毘舎離城門外に建てられました。
親友のコーリタ(後の目連尊者)と祭見物に行った折、狂喜乱舞し祭に興じている人々を見て、100年後にはこの人達もこの世にいないであろう無常を感じ、そのことをコーリタに打ち明けると、彼もやはり同じことを感じていたのです。
このことが二人の出家のきっかけとなりました。
はじめはサンジャヤのもとで修行し、彼の説く教説はすべて理解したけれども、心の安らぎは得られなかった。
もっと深遠な心の安心(あんじん)が得られる教えがきっとあるはずだ。
それが見つかったときはお互い知らせ合おうと約束しました。
ある時、舎利弗が街で修行僧を見かけ、「あなたの清々しい立ち居振舞いに、私は惹かれてなりません。
どうか教えてください。
あなたの師は誰なのですか。
そしてその師の教えとはどんなものなのですか」と尋ねると、「私の師は仏陀(ブッダ)です。
比丘となってまだ日も浅く、詳しくその教えを説くことはできませんが」とことわって、偈文をもって仏陀(ブッダ)の教えを述べました。
「諸法は因縁より生ず如来(仏陀(ブッダ))はその因を説き給う」。
それを聞いた舎利弗は、仏陀(ブッダ)の教えがいかに優れたものであるか、たちどころに理解しました。
さすが智慧第一と称される所以でしょう。
舎利弗は急いで目連に知らせに行きました。
目連も舎利弗から偈文を聞き、仏陀(ブッダ)の教えを理解し、二人は仏陀(ブッダ)の弟子となることを決意したといいます。
すぐさま目連を誘い、250人の部下達共々仏教に入信しました。
その後の進歩も目覚ましく、入信から半月後にはもう修行の最終段階に到達していたようです。
ほどなくして舎利弗は阿羅漢果(あらかんか:悟り)を得、教団内においては、仏陀(ブッダ)をして「私の教えを十分理解し、また衆生に対し教えを説く者です。
従って彼は、私の次の席を得ることができるのです」と言わしめるほど、智慧と徳を兼ね備えた、教団第一の尊者だったのです。